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2012年12月31日月曜日

躾について、厳しさと恐怖

前回は懇談でした。

厳しさについて考えてみた

以前に息子に対して厳しくしていたつもりが結果的に息子の行動を
ただ制限していただけのことがあった

子供の準備や歯磨きなど
やらないといけないこと
やって欲しくないこと
これらをさせる時
(子供をコントロールしようとした時)

普通の声のトーンで言っても止めない
始めないなどから
怒った口調で言い続けていたことがあった。

きっと鬼の形相だったとおもう

Ogre / slackrhackr

最初は泣いたりして、しょうがなくやるが
慣れてくると怒っても聞かない

そうなると僕はもっと怒る
そして泣きながら子供は行動する
でも、また慣れてくると・・・

悪循環だった。


そして、保育園から息子の行動の話があり
行動にブレーキが掛かっていると言われた。
(((゜д゜;)))(((゜д゜;)))

トイレに行きたいのに、
行っていいよと言われないといけない
どうしたの?と言われないとトイレに行きたいといえない
これには驚いた
衝撃だった

ドラゴンボールの悟空が死んだ時みたいに衝撃だった


作ったカマクラが
翌日には溶けて小さくなった時みたいに
衝撃だった

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それから、手出し口出しを止め、
見守ることに徹するようにした。
(まだまだ口出し手出しは僕の課題として
クリアしていない。)

今思えば、厳しくするということが結果を出すと言う考えになり、
なんとしてでも子供をコントロールして
親が望んだ行動をさせようと必死だった

だから結果を出すために、厳しくする
行動しないなら恐怖で動かしてでも行動させる。
なんてめちゃくちゃな図式ができあがっていた

反省しました。

一つ判ったことは
厳しさと恐怖はイコールじゃない

躾=恐怖ではない。恐怖は躾ではない。 ということだ


「しからない、せかさない、求めない」 子どもが笑顔になる 幸せな子育て (コミュニケーションムック)/著者不明

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