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2015年12月30日水曜日

また良書に出会った 私とは何か 個人から分人

これは読んでよかった本でした

私とは何か――「個人」から「分人」へ (講談社現代新書)
平野 啓一郎
講談社
売り上げランキング: 6,049

分人とは
人の本性が一つのように言われるがそうではない。
様々な仮面と言われる顔もまた本性であり自分である。
自分は分けることができることから、ぶれない自分とは存在しない。

人とのコミュニケーションから合う人によって様々な顔を見せることになるが、これを相手に合わせずにありのままの自分をごり押ししているとウンザリされる。
我々は相手との個性の間に調和を見出しコミュニケーション可能な人格をその都度形成させて生きている。

平等とはどんな人にも同じ顔で接するのではなく、相手の個性を尊重して分人化する。
八方美人は誰に対しても同じ調子で通じるとタカをくくって相手ごとに分人化しない人、


相手によって自分が形成させてコミュニケーションをしているためにその時の分人の半分は相手のせいでもある。相手が変われば自分の分人も変わる。逆に相手の半分は自分の影響であるから、相手が不幸そうであれば自分の接し方を変えるべきであり、また相手がどんな嫌な人でも自分との関係で分人がそういう面であるから相手の分人を否定するわけにはいかない。

イジメ
イジメを行う加害者は自分の分人に対してイジメをしているため、自分全体を否定する必要はない。あくまでもイジメを受けているのは自分の中の一部の分人。つまり接する相手が変われば苛められる分人が変わり違う分人が再び形成される。楽しめる分人を見つけるのが生きる道である。


他者を経由した自己肯定
自分を好きにさせる相手が自分にとって愛する人。自分の分人が好きになれる相手。その相手と接している時は自分を好きになれるという相手が理想。


分人という考えは僕にとってものすごく衝撃が大きかった。
様々な考えで悩んでいた時期でもあり、そういった考えに対して一つの答えを提供してもらった気がします。
自分をどう表現するか、こんな自分でいいのだろうか、これが自分なんだろうかと色々と考えていた時があります。

その時にこれも自分でありあれも自分、そしてこうなる自分もまた自分であるということが肯定的に考えれたことは非常に大きなものでした。

ぜひ、読んでもらいたい本です


2015年12月24日木曜日

神様とのおしゃべり 読了 子育てにも使えるところあった

今回読んだ本は神様とのおしゃべり
神さまとのおしゃべり -あなたの常識は、誰かの非常識-
さとう みつろう
ワニブックス
売り上げランキング: 2,050

著者である、さとうみつろう氏が本の中にも登場している本です。
対話型形式で進められており辞書みたいな厚さですがとても読みやすいです。

引き寄せの法則などが好きな方はこの本を読んでいてもハマりやすいと思います。
僕も結構面白く読ませていただきました。

ではここから
この世の中は全て自分が作り上げたものであり自分が希望した内容。気づかず内に希望した内容を見ているはずが登場している自分を主人公としてみて同一化していることで感情移入して見入ってしまっている。
本来の視点に戻り自分が希望したものをただ見ているだけとかシナリオ自体はすでに出来上がったものだとう目線で見ることが本来の視点。
それをするために
感謝が大事

感謝することですべてを認め自分の中の不安を消すことができる。
悩みなどは自分で描いたものであり大したことではないと気付くまでが悩み
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感情が起きるときは固定観念を打破するチャンス、そのためには反対のことをやる
ネガティブな考えも悪い事と思えば悪いが、問題ないと思えば問題ではない。
要はその時の感情が一番の問題であり思いを変えればすべては変わる

望みを叶えるために○○になりたい!ではなく
〇○であるというところが大事

幸せを探してもない、それはすでに幸せの中にいるから。
気づくことが大事
全てを認めて矛盾を受け入れる。この矛盾を受け入れるところが子育てにも共通しているところと感じる。どんなになってもOK、何になってもOK、結果に対してはすべて受け入れることが重要。
それを踏まえた言葉としてキーワードが
いーんだよ
○○になってもいーんだよ
○○でもいーんだよ
○○してもいーんだよ


死とはどんな人にも共通して訪れるもの。
死は共通して同じことだが、死ぬまでに感じることやることは全員が違う


備忘録を踏まえた感想です。
どんな本を読んでいても感謝というキーワードが必ずしも出ているように思えます。
そしてすべてを受け入れることも重要ということがわかりました。誰のせいでもなく受け入れて対応していくことが大事なんでしょうね。
不安を消すのは感謝ということが今回とても印象に残っています。





2015年12月16日水曜日

マインドマップ作成に超快適なボールペン

最近マインドマップ作成に余念がない北国です
どーもこんにちわ

マインドマップを作成する際にソフトを色々と使ってきましたが、今は手書きにチャレンジしております。
この手書きが結構曲者。

何故ならやり直すわけにもいかないし、下書きして書くと時間だけ無駄にかかるようだし色使いたいけど色ペンは太いのばかりだし
なんてことで試行錯誤を繰り返す日々でした。

文字を書く際に太い色ペンだと文字もわかりづらいので、そこは色つきのカラーのボールペンにしようと思いハンズにお出かけ。

そこで出会った素敵な出会い。

今抱えている課題。
文字太すぎを解決し

間違いを訂正できる

しかもカラーペン

それを見つけてしまいました。

なんか結構有名なものらしく皆さん使っているかもしれない。

それでも僕には超衝撃的
悶絶もんです。
商品はこちら



これ物凄くいいです。

間違っても擦って摩擦熱で消すことができます。
綺麗に消えるんです。消しゴムよりいい仕事してましたよ。
これにより僕は間違いの訂正とカラー文字にする課題をクリアすることが出来ました。
超絶お勧め品




New photo added to "Camera Roll"



2015年12月15日火曜日

最近思うところ 父親の姿として

最近、ちょっと落ち着いたこともあり色々と考えるところがあります。

毎日子供たちと過ごす中で大人というのは子供たちの将来像であり指標にもなっているのかなと考える。良い指標であったり悪い指標であったりするが子供たちは成長することで今見ている大人たちのようになるのかなと想像するんだろうなと

大人たちが指標になっているとするならば、やはり見られているという認識はしておいた方がいいと考え、僕自身の過ごし方をもう一度見直すことが必要だと深く思った。



生活の見直すところ


まずは子供が毎日の生活の中で明日も楽しみだと思えることが大事ということを前提としておきたい。
子供たちが明日も楽しみだ、その次も楽しみだという未来に対しての期待感が大きくなればなるほど意欲的な活動へとつながると思う。

そして子供たちの一番近い未来の姿は大人である。
さらに言うならば親兄妹である。
親である僕が日々どんなに育児に取り組んでいても、それがただの疲労感を漂わせるものであれば、子供の価値観として将来に対しての、もしくは育児に対しての未来像は明るいとは思えない。
大人になったら疲れることは嫌だなとか、子育ては嫌だなとかあんな風にはなんて見られているなら将来への不安だけを募らせることになるだろう。
もちろんこのマイナス的な思いも考え方では自分は絶対にそうならないという意欲に代わるのなら良いのだが受け取り方は子供それぞれなので、それも安易に期待してはいけないことと思う。


だから僕は思うのは、親である僕はもっともっと楽しんでいる姿を子供に見せても良いということを最近になって理解した。育児に比重を置くのは悪いことではない、ただし育児に苦痛感や疲労感を見せてマイナス的な表現をしていたのであれば問題だと思う。
子供たちと外で遊ぶにしても同じだ。僕はインドアなので基本家に引きこもるのが好きだ。
子供たちと海に行ったりしても心から遊ぶというよりは子供たちよ!勝手に遊んでね。という面倒さを前面に出していたと思う。これは非常に反省すべき点だ。

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よくお父さんたちでも自分の趣味に没頭している親がいる。もちろん育児をしつつなのだが、その子供を見ると妙に活動的な子だったり意欲的な子に思える。

僕はこれをずっと観察していた。なぜだろうと
バッタなどの虫を一緒に取ることで変わるのだろうか、
海で一緒に泳げばいいのだろうか
山で山菜探すといいのだろうか
それだけじゃなさそうだ。
何かをいっしょにやれば良いってことではないようだ。

最近になって思うことは一つだ。
子供たちも意識はしていないが将来を思いながら日々過ごしている。
その将来への楽しみが大きければ大きいほど
意欲的な子になっているということだ。

僕を第三者の視点で見ると自分で言うのも何だが子供たちの面倒は見ている。
しかし、それが楽しんでいるのかというと違う気がする。
僕は正直、育児は業務としてこなしていた。
父親という職責である以上やらなければいけない仕事。

僕の念頭にこの職責である仕事という考えがあったから、僕が大人としての将来像に魅力がなかったと思う。この僕の姿を見て僕の子どもたちは遊んでくれても楽しんでくれてはいないとおもっていただろう。
そして、楽しいことがない大人にみえていただろう



昔、長男に言われた言葉がある。
『おとうさんって笑わないよね』

これ当時は衝撃的だった、怒ってばっかりという意味かなとか色々と考えて生活態度をあらためたりもしたが、今は違う意味で理解しているつもりだ。
それは・・・

楽しんでないから笑っていない


僕は改めて誓う。
これから存分に人生を楽しむ。
子供たちも巻き込んでたっぷりと楽しむ。
もちろん妻も巻き込ませてもらう。

巻き込まずに勝手に遊べとなるが、ここは僕の考えでは違う。
楽しんでいる姿は子供たちに見せないといけない、
それがスポーツを習っている姿だったり楽器演奏だったり友達との談笑だったり。
子供たちの知らない所で楽しんでいても意味がない。お父さんはこんなにも人生を楽しんでいるんだぞというところ感じてもらいたい。見てもらいたい。

そして、君たちが大きくなってもこれだけ楽しめるだぞ、だから明日も明後日も楽しい事ばかりだぞと感じてもらうことが出来たらうれしいな。


背中を見せるというのはこういうことのように思える今日この頃です。


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2015年12月14日月曜日

マインドマップについて

独学ですがマインドマップを作成し続けております。
できるだけ脳に記憶しておきたいと考え着手したのが切っ掛け
一度挫折し、再びここ一年くらい復活して作成しておりますがここまでの思いを記入します。
僕なりに感じたことです。

マインドマップの記憶する仕組みはとても共感するところがあり、イメージと単語を繋げたり、全体のつながりを理解するうえではとても良く感じる。

実際に手書きとなるとイラストの作成に手間取ったり掛けなかったりで結局文字とカラーだけのものになることから記憶に残すという部分に物足りなさを感じた。

ソフトを使って色々と作成を繰り返してみたが、マインドマップ全体を俯瞰するにはiphoneアプリでは難しくPCなどでは可能
ただし、印刷となると文字が縮小されて結局何を書いてあるかわからなかったり小さすぎて意味がなかったりとするところが残念。
アプリなどで作成する際はたくさんのアプリがあり好みで使うことができるが、全体を俯瞰する際の文字の縮小などが解決されるものが見つからなかった。

PCなどはイラストなどの挿入がとても簡単なのでそういった点はメリットとして利用価値はある。

記憶というところではもう少し続けて、これらの欠点をカバーするようになって初めて検証することが出来そうだ。

現在利用しているのは、freemindとクロームアプリのfreemind. 
iphioneではimindmapとiThoughtsになる。それぞれ一長一短がある。





2015年12月9日水曜日

育児本としてもお勧めの本 勇気づけの心理学

最近アドラーの本を読んでからアドラー熱が再燃しております。
前回は嫌われる勇気を読んでいましたが、今回の本はこのアドラーの中にある勇気づけと言われる子供たちの意欲を沸かせることについて一歩踏み込んだ内容の本です。
感想から率直に言いますと
良本です。

勇気づけの心理学
勇気づけの心理学
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岩井 俊憲
金子書房
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これはお勧めできる

勇気づけと言われることが理論的に書かれております。
理論的に書かれているので理解がしやすいです。
勇気づけも内容的にわかりやすかったのですが、こちらの本は理解しやすいという感じ。

子供たちが日々過ごしていくうえで躓いて転んで、そこから起き上がり一歩を踏み出すために必要な意欲、この意欲を心理学の面から解説しているような本です。

では、本の内容
勇気づけとは
・持ち味や潜在能力の焦点を合わせ、自己尊重や自己信頼を築くプロセス

勇気づけにより
・仲間意識や貢献という共同体感覚が養われる
困難を克服リスクを引き受ける協力できるなどの能力が得られるようになる。

勇気づけの関係
尊敬信頼によってできるもの
・信頼とは見返りを想定しないで信じきること、尊敬とは敬う心

勇気づけをする人
・失敗に対しては学びのチャンスと受け取り、次回への対策を心掛けている
(次にそういった場面になったらどうやって対応するかなど)
・ユーモアがある
・楽観的
・聴き上手、目的を聞く(開いた質問)、どうやって?何のために?相手がイエスノー以外の答え方ができる質問の仕方
・大局を見る
・未来志向
・個人の主体性がある
・共感する
目耳心で感じる、相手の関心に自分も関心を持つ。

人間の意思
・意思を伴う行動には目的と手段がある。伴わない現象などは因果関係で成り立つ
・想像力は想像以上にパワーがある。レッテルなどはイメージを植え付けて行動につなげてしまうので臆病者、弱虫などとは言ってはいけない。
・劣等感などは対処として建設的か非建設的かは自分で決定することができる。

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勇気づけではない
・褒める、褒めるというと範囲が広いことになるがここでは結果に対して褒めることは推奨しない。
・『たら、れば』などの言葉は相手に不信感を抱かせるだけ
何故という問いは答えづらいもの
・ハイかイイエのみで答える質問は閉じた質問となり尋問や追求として受け取られやすい
賞罰教育は相手の決定を軽く見た操作的な態度になる。子供に決定させることを目先の褒美や罰により意思決定させるのは良くない。どっちを選ぶかは子供の意思に任せる事でありコントロールしようとすることではない。

勇気が挫ける
適切な態度を取らなくなる。これは適切な態度では無理と判断したため本人なりの目的がある。(あまのじゃく的な態度など)
無気力、怠惰な態度を見せてくる。ただしこれらはそういった態度を見せるための気力は存在しているためにその方向を変えるだけで意欲的な行動へと変わる
勇気が挫けて態度に出てくるのは意思表示として気づいてほしい所があり、自分たちなりの居場所を占めるためや目的を達成するためにそういった態度になることが多い


言動
目的があるので直情的に反応してはいけない。大きくなっても指しゃぶりなどの症状が出てきた場合など親の視線を集めたいがための行動などがある。指をしゃぶることで親が注意をする、その注意する間だけでも親は自分のことを見てくれるなど。
特定の条件下に言動が出てくるなどがあるためにそういった条件を探ることが重要
・宿題をためてしまうなどは、貯めているマイナスを指摘するのではなく、たまったものを処理する場合に助力があることを伝えるだけで十分。あとは本人に任せる。
行為の分離、やった本人と行った行為を分ける事が重要、嘘をついた子が正直に話したときに正直者でうれしいよという子供本人に対しての感謝ではなく、正直に言ってくれてうれしいよというやった行為に対して感謝を伝えることが重要。
これは行為した事と行為した者を一緒にしてしまうのは相手に対してのレッテルになってしまう。ここレッテルが人に対してのイメージの植え付けや人格評価になるために行為と人は分けて扱うことが重要





2015年12月2日水曜日

嫌われる勇気を読んだ 読書感想

良い本でした
アドラー心理学『嫌われる勇気』

とても良かったです。対話形式で進められておりストーリーで話は展開していきます。
読みながらアドラー心理学を学んでいくという展開です。
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では備忘録へ

トラウマを否定しており、過去の経験に対して自分で意味を決定していくことで現在は変わるというもの(虐待の経験者であれば心理学を学びその道へ進む者など必ずしもマイナス的な方向に進むわけではない)
劣等性は価値を与えて成長や努力へと促すことができる。
人の感情は道具とされているため腹が立つという怒りなどは、怒りを道具とした先に目的がある。
(怒った相手に謝らせたい、相手より優位に立ちたいそのための道具として怒りを使うなど)

人々は何を与えられるかではない、
与えられたものをどう使うかが大事

人々は恐怖から様々な行動や考えを抱いてしまう。
人に異を唱えることで関係が崩れる恐れを抱く人もいる。そのような関係であれば最初から関係しない方がマシであり、他者のために生きるやり方になる、それは不自由な生き方だ。

自己中心的になると課題の分離が出来ず承認欲求を得ようとする。それは他社の評価や視線を気にするようになる。


自己受容することが大事でありこれができないと自分の権力をアピールするようになる。過去の栄光を自慢したり優れているように振る舞いになる
自己肯定は自分に対しする暗示的なところがありその暗示の内容には根拠がない。
(テストで満点を取れなかった時、それは実力ではなく運が悪かったなどと現状を受け入れない)

出来ないことに対する言い訳を並べる人は出来る可能性を残しておいて出来る可能性の中で生きていたいということ。もし○○という仮説を立てても自分は変わることはできない。

自分を受け入れるというのは、どんな結果に対しても自分の実力と認めて次への対策を考えるようになる。

できる事できないことの見極めが大事





人生
・人生の計画は必要ない、ゴールを設定してゴールに到達することが目的ではなく向かう過程が大事。日々の毎日が大事であり、今ここを真剣に生きることが重要

・人生の意味は説明できるものではない。
自分で自分に与えるもの

・人生の指針は他者貢献であり承認欲求や相手からの見返りを期待してはいけない。相手に何をしてあげられるかを考え実践することが重要。
自分が変われば世界は変わる

・目標とするところは行動では自立と社会との調和、
心理面では私には能力がある、人々は仲間という意識

共同体意識
大きい枠で意識することが大事で学校や家族だけではなく世界的な共同意識という枠で考える。
自分の居場所を小さな枠だけではなく大きく意識することで合わない共同体に無理に合わせる必要もない。

共同体の中で自分は主人公であるが、君臨しているわけではない。

共同体意識への参加は他者に対して何を与えられるかを考え実践する。


実感するには自分が有益と思えるとき、自分に価値を感じる事。
価値は行為ではなく存在に価値があること。
嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え
岸見 一郎 古賀 史健
ダイヤモンド社
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2015年11月26日木曜日

子育て 錦を織るしごとを読んで 斉藤公子著

このところ多読しております。
家にいるときと通勤時、会社にいるときなどすべて違う本を読んでみてます。
最初は読み終わってから次に行かないと内容が頭に入らないのかなとか
集中できないんじゃないかという不安がありましたが問題なかった。
むしろ数種類の本を同時に読むほうが飽きがなくてよい感じです。
今回はこちら

子育て=錦を織るしごと


良かったです。堂々とお勧めできる本
斎藤さんの本は実践保育の体験を織り交ぜつつ、その中に子育てのヒントをちりばめるような感じで読み返したりするたびに新たな気付きを得るという感じです。
読み慣れないと僕には読みづらい本に感じました。
でも内容は良かった。

ここから備忘録
子供が激しく抵抗を見せている時は無理な指示をあえていることがある。この抵抗を見せるというのは小さな子供の生きる力の証でもある。
ただ抵抗を見せているのであればもっと優しい課題に切り替えてあげるのが良い

生後の皮膚刺激の重要性
プラスチックのおもちゃでは皮膚の刺激が一律のため、木工のおもちゃでも木の種類が色々とあると良い。皮膚から得る刺激により脳への発達が期待できる
手と足と目を使って熱中している時には脳は発達する。

子供に対しては待つことが大事
子供を日光の当たらない部屋にはおかない

子供が高い声がでなくなったり、絵を描かなくなるのは子供に無理なことを強いている時

子供が乱暴な言葉を使い場合でも大人は常に正しく優しく発することが重要、
子供の乱暴な口調は大人に対して対等になろうと意識していることであり、これは子供自身が自分の考え行動をしようと自立へと向かう象徴でもある。





おねしょなどは気にする必要がない。
寝る前などにおねしょ対策として水を飲まないとかはする必要はない、なぜなら気にしてないよという大人の言葉と裏腹に行動では水を飲まさないでおねしょ対策しているということになり、それは気にしているということになる。

子どもには何も気にせず伸び伸びと育ってほしい

絵を塗りたくる仕草、心に何かしらの問題を抱えている可能性がある、
例えばおもらしをしてしまった幼児がおもらしのことを常に叱られたり指摘されたり、孤児であったり。
塗りたくる仕草から通常のように絵を描き出すと問題が解決になったなどの心の回復を見て取れる




子育て=錦を織るしごと
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斎藤 公子
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2015年11月20日金曜日

子供を勇気づける20の方法 面白かった育児本

長男が一歳になる前に妻がアドラーの育児講座を受講した。
その時にテキストとか本などを読む機会があり面白いと一時期ハマった。
それから今のさくらさくらんぼ実践保育園の一つである小樽のかもめ保育園に移った。
ここでは懇談などで育児の勉強会があり、アドラーよりもそっちにハマった。

久々にたまたま目についたこの本を読んでみたら、やはりアドラー心理学の面白さは変わってなかった。
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勇気づけといわれる子供たちに対する意欲を活性化させる言動などについて文章としてしっかりと書かれており当時よりも理解のが深まった気がする。
それは現在の保育園での勉強などから自分自身の知識の厚みと子供たちとの接する機会からの変化のようにも感じる。
新たな気付きがありそこがまた面白さを感じさせ色々とアドラー関係の本を読みたくなった。

このアドラーの勇気づけと言われる行為と保育園で常に大事にしてほしいと言われる子供の意欲ということが同じことを言っているように感じるからだ。

一言でどの辺が同じなのかと言われると説明が難しいが子供が自ら様々なことへ挑戦するような意欲的に育児するという観点では同じように思う

ここからは本の備忘録として記録
子供たちの様々な行動の原因を考えるよりも行動の目的を考えることで先に進みやすくなる
子供たちが仲間のためという協力から始まり、自ら決心する、さらに決心したことを実際に実行という行動に移すことでさらに仲間たちとの協力を学び、共同体に対して自分も役に立つという実感を得ることの重要性が書いてある。

親として子供に対して生きていることに対してので喜びを感じることで、子供の自己肯定感が高まる。
勇気づけは子育てのノウハウではない。
子供と対等になるノウハウであり子供に対しての関心の持ち方のノウハウだ。
そのために子供が変わるのではなく親自身が変わる必要性がある。

勇気づけ
行動や結果に対して行うものではない。
子供自身が本来持っているものを湧き出させること。
そして子供が自分が世界の一員であるという所属感を得る事

子供たちに対して長所を見つけ短所に関しては見る必要もない。良い所を伸ばすようにしていくことが重要であり、アドバイスとして意識すると子供に対しての批判になってしまうが、代替案としての提案というくらいの感覚を持つことが大事。助言ではなく情報提供者的な存在

子供が自分に自信を持つことは自分自身に納得することになり、
自分に対して『これでいいんだ!』となることで挑戦欲が育つ


聞き入れない子供などは、親が子供に対して感情的な反応をしていることがある。
さらにがんばれ!早く!ダメ!などの言葉は子供を信用していないことからの言葉になる頑張れでは現状ではダメ、早くは信頼していない早くしないと心配だということを伝えており、ダメは否定している。



勇気が挫けたときに子供がとる行動
関心を引く
悪い行動や良い子を演じたりすることで親の注目を得ようとする
・主導権争い
反抗的態度をみせることで親に自分の居場所の確認をさせる。
親への挑戦をしてきており、親が勝っても反省はせずに怒りだけが残る。かといって負けても大人を見下すようになるため引き分けを狙う。
・復讐
親を困らせる行為、自分を傷つけたり罪を犯す。これらに罰を与えても解決にならずさらなる復讐心を募らせるだけ
・無力
無能、無気力になったりそれらを装う

こういった勇気が挫ける行為は協力を前提にした育児ではなく、その反対になる支配が目的になってしまった育児になる。
子供を支配するようにすると、そこから競争へと発展し勝ち負けにこだわり自己中心になる。そして権力へのあこがれが発生する




2015年11月12日木曜日

何のためには働くか 読了 

良い本に出会えました。
師とかってに仰いでいる北尾氏の著作
何のために働くか
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仕事をするうえでの考え方から、人生を生きていく上での大事なことが書いてあります。
本当に良い本だ。

ここからは備忘録

人は仕事を通して成長していく、様々な苦労などもあるが困難にチャレンジすることで成長という見返りを得ることになる。
仕事をするうえでの原動力として『』があり、課題にぶつかった時に何するものぞ!という心意気で挑む。
仕事を一心不乱に打つ込むことでいずれ自分の本当の天命に出会える。
天命は簡単に出会えるものではないが、人は使命を示す力がある。
それは熱意や強い意志によって示される。

仕事の達人を目指すには
判断力を身に着ける。この判断力は不祥事ニュースなどから主人公を自分に置きかえて発言内容を考えたり自分なりのやり方を想定する。そして釈明した人を実際に見届ける。
ものの見方、考え方を鍛える。根本的、多方面的、長期的にみることが大事であり、常に三つの策は用意するようにする。
論争などから論旨を読み鍛えるのもあり
全て自分のことと考える。人のせいにしていては成長が止まってしまう。全ては自分のせいだからこそ行動も変わり考え方も変わるのだろう。

見識を付け今やっていることが正しい事かを見極める。
そのために知識や節操を持つことが大事
この見識に勇気を伴い実行することで生きてくる。
それが胆識となる


天命を全うするために日々の時間を惜しむことが大事、友達との楽しい時間や二次会すらも惜しむくらいになるのが良い
徳を重視することが大事であり利益は正しい行動から発生することと思うこと

自ら問う
天を仰いで地に伏して恥じないか、やっていることは社会的正義であるか
世の中の褒めたりけなしたりする言葉には耳を傾けない

何のために働くのか
何のために働くのか
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北尾 吉孝
致知出版社
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簡単に書きましたが僕の道徳心、論理観を形成するうえでとても重要なところとなりました。
親として技術を伝えていくよりもこういった自分の軸となる道徳心を伝えていくことも重要かなと最近思います。








2015年10月27日火曜日

園児の親父の交流会

先日土曜日に保育園に通っている子供たちの親父による交流会
親父会があった。

一言でよかったよ。
とても良かった。

普段話をする機会がない人同士もそういう場面で交流する機会があり、お互いに意外な一面を見たりととても楽しかった。

なんだか毒出ししたような気分だね。

毒があったわけではないけど、男同士の語りっていいよね。

酒に飲まれないようにと思い会計もがんばってやってましたが、無理でしたよ。ガッツリ飲まれてましたよ!
お酒にね!

会費は前払いがわかりやすいね。それを怠ったもんだから何が何やらわからない感じになってた

ヽ(´∀`)ノ

これからもこういった交流がたまにあればいいなと思う今日この頃






2015年10月22日木曜日

育児に使える本の紹介 反省させると犯罪者になる

読み終えました
反省させると犯罪者になります

反省させると犯罪者になります (新潮新書)


著者 岡本茂樹

一言でいうならばよかった。厚さも程よく読みやすい。
犯罪者というより加害者の行動の心理を書いている本
なぜそういった行動を起こしてしまったのか。
一度、刑に服しておきながらも再犯してしまうのは何故か

そういったことがわかりやすく書いてある。
そして、行きつく先が子供時代の育児環境。
これが大人になっても行動の基となり、思考の根源てきなものになることから、育児ということの重要性を再び認識しました。


この本からの学びを備忘録として記録
加害者に対して被害者に対する反省を考えさせる行為は今後再犯の防止という観点からは効果は望みづらい。

何故か。
加害者が罪を起こして最初に抱く思いは後悔である。
その後悔は反省ではなく、自分が捕まることへの後悔など。そして思いはそれだけではなく被害者への不満が多々ある。
あいつは○○されて当然だとか、あんなことしてるから○○されたんだとか

こういったことを解決せずに反省文だけを書かせてもそれは表面だけのもの。どんな立派な文を書いても表面上だけであり再犯の確率は当然高い。

加害者に対して行わらなければいけないこと
まず加害者が抱いている不満を吐き出してもらうこと
それも自由に思いを語ってもらうのが一番のようだ。そこから徐々に不満の根本的な原因を探る作業になる。当然過去にさかのぼっていく
そうすると自分の親に対する不満が出てくる。親に対する怒りや悲しみ、嫉妬など様々なものがでてくる。そこで初めてもう一度自分と向き合うことが出来て自分の行った行為を振り返ることができる

例えば、覚せい剤所持者が殺人を起こしてしまった場合(抜粋)
何故殺人をしてしまったのか

覚せい剤を使用したから(加害者)
↓何故、覚せい剤を使用したのか
シンナーをやってたから
↓何故シンナーをやったのか?
たばこを吸ってたから
↓何故タバコ?
悪い仲間に入った
↓何故仲間に?
イジメられたが親の財布から金を抜いて渡すとイジメられなくなり仲間に

その加害者の親は抜いた金を返せと言うがイジメに対しては無関心。そして日常的に父親は暴力をふるっていた。
加害者は助けを求めても助けてくれる人はいなく不満はたまっていった。

ただこういった過去への振り返りから父親に対しての不満を吐き出し、父親に対して愛してほしかったことや父親への謝罪の気持ちなどが出てきて、現在の被害者への謝罪の気持ちが出てくる。

こういった自分が犯した罪に対してやみくもに反省をさせるのは意味がなく、加害者自身が何故行動を起こしたのか、そちらに焦点を合わせていかないと解決は難しいことを理解した。
この例からもわかるように加害者の少年時代の不満が現在の犯行に結びついてくる。
そして、次へのステップを踏むためには過去を見つめ返す必要が十分にあることがわかる。

親から受ける教育は子供時代を終えても長い間影響を与えているようだ。
例えば、他人に対してすぐに怒りを見せる人や他人の行動で気に入らないことがあり中々我慢が難しい人などは親から価値観の刷り込みがあったことが多い。
これが正しいことだ!こうしないといけない。などの価値観の刷り込みを子供時代にされてくるとその価値観からはみ出たものに関しては許せないという判断につながってくるようだ。

不安を抱えるということで相談などできない人
これは我慢が当たり前という育て方や一人で頑張るものだ。人に迷惑をかけてはいけないなどの人とつながることを阻害されるこれらは人に頼ることが難しい価値観を育ててしまうことになる。

大人になっても行動の根本的な原因は子供時代に遡る
子供時代の育児の重要さというのがよくわかる。
子供が問題行動というものを起こしたときに、僕はすぐさまはその行為を叱ってしまう。
でも本当はその行動の原因をまずは探ることが重要なのかもしれない。
つまり問題的なことをしているときは、子供の自己表現であり子供からのSOSかもしれない
その時は大人としての支援のチャンスであり、子供が今抱えている不満を存分に語らせるチャンスと捕えるところが重要なのだろう。


イジメ問題も同じ
イジメられた子の事を考えなさいと言うのは解決につながりづらい。
なぜイジメをした子にそういった行動をしたのか、イジメた子に対する不満は何か
何故それを不満に感じるのかというところを深く掘り下げていかないとイジメをした子はターゲットに対して今度はもっと陰湿になったり、ターゲットがいなくなれば別のターゲットを見つけていじめを繰り返すだけだろう。




今回の一冊は育児にとても参考になることが分かった。
書いてあることは難しいことではなく単純に不満を語らせて、その不満の原因を突き詰めていこうということだ。とても良い一冊に出会た。

反省させると犯罪者になります (新潮新書)
岡本 茂樹
新潮社
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2015年10月21日水曜日

少年野球のスライド制作

息子が少年野球に入団しており、今年卒団する上級生のスライドショー制作を依頼されている
保育園でスライド制作は手伝ったことがあるが、実際に制作するのは初。

やってみると難しいが楽しい。

子供たちの姿を写真を通してみることで一年の流れを把握でき、
様々な様子を見ることができる。

さらに、スライドショーを制作する過程で子供たちの練習を見ると視線が変わった。
ここは写真としてほしいな。この雰囲気は動画として欲しいなとかそんな感じに(^m^ )

たった一年を通した写真なのだが年明けから子供たちの顔をみると成長しているのがよくわかる。
顔つきが変わっているのだ。
これは上級生だけではなく一年生から顔つきが変わっている。
成長する時期なんですかね。

NPOという組織である少年野球の運営は父母たちの集まりによって行われる。
そのため会社の職場とは違った問題も浮上する。
その時に話しないという場になるが、そこで様々な意見が聞ける。
これが意外に面白い。
自分にはない角度からの意見を聞くとそういう見方もあったんだなとか、気持ちを前提とした話しぶりを聴いたりすると情熱的な人だなとか色々なことが見えてくる。

勉強になることがもの凄く多く、職場的な役職というものがないだけにみんなが同じ立ち位置からの観点になるため意見がまとまりづらい。
その話をまとめやすいような意見が飛び交ってくると、ものすごく胸の奥からのワクワクが止まらない。

39歳になり自分の成長はもう終わったと思っていたが、こういった新しい刺激から自分の思考の仕方の変化を考えるとまだまだ自分も成長できそうだなと自分に期待しております。





2015年10月16日金曜日

伝え方

自我が発達してきたのかイヤイヤを見せる次男
いたずらにも拍車をかけて日々堪能した毎日を過ごしております。

そんな中で自分でやりたくないことを甘えてやって貰おうとすることがあります。

例えば着替え
自分で脱いで着ることができるのに、甘えて泣いて『やって~』というときがある
この時に自分でということを伝えると自分でやることになりますが、
自我がハッキリしてきた2歳の期間が一日で終わるわけもなく、次の機会には再び『やってぇ~』という展開に。
ここで再び自分でね!と伝えるのですが、一回目にはすんなりと聞いたことも二度目になるとイヤイヤということで譲らない。あくまでも『やってぇ~』と一点張り。
言い方を変えて何度か成功もしますが、日付が変わると再びの繰りかえし。






















最近少し気づいたことがあります。
言い回しをアレコレとするよりも言い方を変えるよりも一番の効果的な伝わり方は・・・




親の態度


これだと感じました。

態度というと怒った態度とか思われると違うのですが、あくまでも毅然とした態度が最も重要と思います。子供が何度もやってやってと言って来たり、こちらが伝えても聞く耳を持たなかったり行動を見せてこないのは、親の関心を引く行為につながり親がやってくれるという期待を持たせてしまいます。
これが問題のない行為であれば期待を持たせても良いと思いますが(例えば一緒に遊ぶことなど)子供が自分でやらなければいけない行動を親にやってもらおうとすることであれば、断固としてこちらの意向を伝えなければいけません。

その際に親として僕は一切手出しはしませんよ!ということを言葉よりも態度として表すことの重要さを次男にして、三人目にして気づきました。

どんな言葉を羅列して説明したり説得をしようとしても、親が子供の方に向いている間は子供は自分の要求を曲げようとしません。それは親が子供に向いているということは子供の要求を叶えてくれる行動と結びついているから。
だから態度として向いている方向を変えないと、親としてのこちらの意向が伝わらないというのを感じた。


僕は良く例えを使って言ったり、言い方を変えたりと様々なことをやって伝えてきました。
もちろん伝わったこともありました。

でも言葉よりも重要なことがある


理解するのはあくまでも子供本人。
大人が様々な判断材料を提供して答えを導くのではなくて、子供自身が判断をしなければいけない。そんな行動を促すためには、やらなければいけない事に対して少ない材料で自分だけで答えを見つけてもらわなければ意味がない。
だから敢えて言葉を少なくしてやらなければいけないことに正面から向き合って考えてほしい。


向き合うのに言葉はいらない。
向き合うときに親が手出し口出しをしなければ、子供は課題と向き合うしかない。
今までの僕は子供たちに対し、答えと数式までも提供してたような感じで導いてた。
数式で書くならこんな感じだ↓
A=X+Y
Aが答えで例えば着替えとする
XとYは単純に答えになる理由など
つまり今回でいうと答え(A)が着替え
XとYは着替える理由など

今までの僕は着替えてねと伝え、汚れた服は洗濯だからとか、そのままでは家の中も汚れるからとか、食べた後は着替えだよとか様々な答えを先に子供たちに伝えていた。
何もかも導いてた。
そんな必要はなかったんだ。
本当は子供たちから着替えの理由を聞いてくるぐらいがちょうどよいのかもしれない。
自分たちで行動の疑問を感じたら考える癖を持ってもらうようにしないといけないのかもしれない。


伝え方に対して僕の最近思った考えです。

また変わるかもしれないけどね

ゲラゲラゲラゲラ



2015年10月15日木曜日

繰り返し伝えることの大事さ

段々とさむくなってきた北海道
身も凍えるような日々ですね。

運動会も無事に終わり衣替えを行っている我が家です。

現在、長男は小学生、長女は年長、次男は2歳という我が家の子供たちの構成ですが
保育園児である長女と次男の保育園では、いたるところに花が花瓶で飾ってあります。
これは2歳である次男も障れるような高さに飾ってあるんです。

本物の花を自分たちの目で見て、美しさを感じてもらいたいなどの意味もあるようですが、僕は最初落とすとか壊すのではという不安ばかりがありました。

でも、不思議とそういったことはあまりないんです。ほぼないんです。
悪戯をしたくなる子供たちには触らずに見るものとして伝えていきます。
年齢を重ねていくと触り方なども理解するようになります。

最初っからすぐに理解するわけではないですが、触らずに見て感じることを伝えていくと2歳の次男でもしっかりと理解して触っていたずらをすることはありません。
しかも、その伝え方というのは怒る伝え方ではないんです。
ただ伝えているだけ、本当に伝えているんです。

これが最終的には子供たちがしっかりと自発的に自分たちで触らずに見るだけの行為へと発展していく。
子どもだから わからないとか
子どもだから まだ無理とか

実際に僕は子供たちの可能性を自分の中で否定して、無理だから仕組みとして触れない所に置くとか、まだ部屋の中では難しいから花とか花瓶などは置かない方がいいとか考えていました。

これが間違ってた( ºΔº )

子供たちを常に一人前の人として接するようにしていかなければいけなかったんです。
子供が自分で考えて自発的に行動できるまでしっかりと見守るようにしていかなければいけないというのを感じました。


寒くなり秋空を見ながら芸術の秋と感じつつ忘れぬうちに書こうと思ったことです。




2015年10月7日水曜日

さくらさくらんぼ保育実践保育園 かもめ保育園に預けて思うこと

無事に運動会が終わりました。
年長の娘の最後の運動会
真剣なまなざしにドキドキしながらもがんばった姿に感動し、ほっとした。

三年前は長男が卒園し来年は長女が卒園となります。
このかもめ保育園に来る前には札幌の保育園に通っていました。
その時は育児の知識は本で読む程度でも自己満足がとても高かったのですが、この保育園に来てから懇談などで育児をここまで深く学ぶことになるとは考えもしなかった。
ヽ(´∀`)ノ
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僕がこの保育園を通して思ったことの備忘録として記録します。

子供たちの成長を通して、親である僕が常に学んでいかなければいけない。
なぜ学ぶのか
子供たちは将来成長し大人になることで新しい社会を築いていきます。
その社会に出るまでの準備として、しっかりとした自分を持てるように育児していくことが大切。


育児の結果はどこで表れる!?
子供たちを育児、教育していく中で実際にどういった形で教育したことが現れるかという一つの目安が、家庭という枠からでた外の世界での様子とおもう。
この親から解放された、親の保護から外れた外界において子供たちが自分という軸を維持できるのか、自分たちで切り開ける強さを身に着けているのかを垣間見ることができるのだろう。

学校や保育園という集団生活という中で子供同士の関わりから『泣いて要求を通す子』『何も言えなくなる子』『外が苦手で外遊びできない子』など様々な様子を見ることができる
その時にこれが我が子の性格なんだと子供の可能性をゼロにするのではなく、もっと成長できる強さを子供たちが持っていることを信じ、これから社会にでるにあたり自分をもっとしっかりと表現し思いっきり活動できるようにするにはどうすればよいのか!?という疑問を持ち考えていくことが大事と感じる。

課題を解決するには
ただこの課題が出てきたときに解決が非常に難しく、一家庭で解決しようとすると非常に苦しむ。
それを沢山の親たちと一緒に悩んだり考えたり試したり、そして保育園側からも一緒に考え悩み解決に向けて動いてくれるというのは、ものすごくありがたいことだ。

一人の子どもを育てるのに村人100人が必要(インディアンの言葉)



子供たちは樹木
子供たちを例えるなら樹木のような感じ。
それは家庭から保育園、学校などに通う子供たちは、家庭で栄養を吸い幹を太くし枝を伸ばして様々な花を咲かせる。その栄養とする部分に何かしらの問題がでてくると花が咲かなかったり、すぐに枯れたり虫にやられる弱い花になる。

その足りない栄養の与え方をかもめ保育園が指摘してくれる。つまり庭師みたいなものだろう。


保育園は栄養を吸うところではない、
栄養の与え方を指導してくれるところ。
ここが僕の勘違いだった。
保育園に預けてさえいればどうにでもなるという考えだったが、そこは違った。
原理原則は家庭にある
どんな長い時間保育園に預けても栄養を吸い取るのは家庭なのだ。家庭での育児が方向性を謝ると結果は・・・ということだ。

来年長女は小学生だ。
本当のスタートが来年春には始まる。
そのために育児についての学びはこれからも続けていこうと思う。

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2015年9月28日月曜日

竹のぼり、登れないのは技術だけではない。

保育園の運動会がもうすぐはじまります



先日この竹のぼりの練習がありました。

その時にと手の印象的な場面があったので備忘録として

みんなで竹のぼり練習
女の子Aキの上る番が来ました。
Aキは途中で登れなくなり、なんとか踏ん張って登ったり
途中からずるずると降りてきたりを繰り返しなかなか頂上まで登りきれない。
見ていると足が滑って登れない様子。

僕はこれを見て足の汗かな!?
それとも土がついて滑るのかな!?
足を濡らせば登れるのでは!
足の使い方を○○すれば登れそうだな!?
そんなことを考えてた

そんなとき、この保育園の代表者T川がAキに言った。
『Aちゃん、途中で降りては絶対ダメ、諦めないで登ってごらん』
僕はこれを聴いていて、足の滑りはどうするのかなと思ってた。
滑るからそこを直さないと難しそうだなとか、足の使い方を教えたらとか思ってた

でもT川から出たひと言は『途中で降りては絶対ダメ!!!』
滑って登れないのに降りてはダメってのはどういう意味だろうと思ってた。

でもね。結果は違った。
Aキはその一言を聞いてから登り方が変わった
登り切ったんです。しっかりと力強く
登り方を教えたわけじゃないんです。諦めないということを伝えただけ
これだけで子供が変わった。
僕はもの凄く印象的でした。

でもね、変わったのはこれだけじゃない!!!
Aキは一度上った後も何度も何度もこの竹のぼりの練習を自ら繰り返し
何度も登り切ったんです。
他の子どもたちが他のことで遊びだしても一人黙々と片づけるまで練習。

これが『意欲』ということを見せつけられた感じです。

意欲というところに目を大人が向けることで、
僕の今後の子どもへの注目するところを変えなければいけないなと感じた今日この頃





2015年9月11日金曜日

子供目線と大人目線は全く違うようだ

先日僕のおばあちゃんが亡くなり火葬場に行ってきました

僕のおばあちゃんは小学1,2年くらいの時に同居する形となり20歳まで実家にいたのでその間ずっと一緒に過ごしてきたおばあちゃん。
そんな僕のおばあちゃんの思い出は楽しいことが多かった
アイドルや俳優などが好きでポスターを部屋に張るくらいの熱狂ぶり
いつもドラマなどをみてスマップの香取信吾を『しんごちゃんだ(≧∇≦)』と言って興奮
僕が結婚したころはヨン様ファンになってた。
テレビに向かって声援などを送ったり、いつも大声で笑い部屋から声が聞こえてくるたびに遊びに来た友達などはその声を聴いていつも爆笑だった。
僕も面白かった。


でもそのお婆ちゃんの僕が持つイメージと僕の母親が持つ思いは別物だった。
母親が語るお婆ちゃんはとても我が儘で好き勝手生きていた人だったようだ。

ここで僕が思ったのは、子供が持つ印象と大人が持つ印象の差
かけ離れた距離があまりにも違うのだということ。

子供目線と大人目線はここまでして違うのかと感じた

今僕は家族を持ち未成年である子供たちを保護者(親)として育児している。
その育児も結局のところ大人目線でしかないのかもしれない。
子供のためにと思ってやっていることも、子供から視線では全くもって違うようだ。

僕は今回のこの貴重な経験から少し考え方を変えなければいけないかもしれない。
子供に好かれようと思って何でもOKにするつもりは無い。ただ何もなければ先に死ぬのは僕の方だから亡くなった後に僕を思い出す時に少しでも楽しかった記憶が残っていてくれればと思う。
そしてそれを振り返った時に少し微笑むくらいの出来事をたくさん残せることが出来たらなぁと考えた。

過去の記憶、または経験は明日を生きていくうえでのちょっとした活力になると思う。
そんな活力に楽しい思い出もあっては良いのではないだろうか

享年88歳
安らかにお眠りください。





2015年9月7日月曜日

ゴーマニズム宣言 天皇論を読んで

色々と国内では安保の話題について盛んです。
日本人として国内のこと、国内の歴史など子供たちに質問されても答えれるようにしたいと考え少し自分なりに知識を付けています。
その知識を集めるものの中に漫画であり面白い本を見つけました。
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先に感想を述べたいと思う。


読むべきだ!ヽ(`⌒´)ノ

自分たちが住む国の天皇という存在。
生まれ育ったところの文化は学ぶべきだと思った。

今まで当たり前のように存在し、時には扶養ではないかと考えた天皇陛下についての新しい見方ができるようになる。
世の中を効率化だけで成り立たせようとすると道徳心という大事なものまでも断捨りすることになってしまう。
文化という歴史を築き上げてきたものを簡単に捨ててしまうのもどうかと思うし、なぜ日本が天皇陛下を大事にしているのか、日本という国での天皇陛下の位置づけとはどういったものなのか!?
こういうことを改めて考えることができた。

右翼左翼という言葉もあるが、どっちになるということではなく一つの知識として読んでほしい一冊。

当たり前に住んでいる日本、日本人として改めて日本が好きになった。




2015年8月31日月曜日

今年も始まった年長課題の縄編み

運動会に向けて始まりました。
年長課題の縄編み
これは子供たちが三枚の布きれを使いを縄を編んでいきます。


2012年は長男が縄編みをしていました。
2015年は長女です。
長男が年長の時はこんなに小さかったのに
何時の間にやらあっという間に大きくなってる



早いもんですね。
縄編み完成おめでとう。

この縄編みをする間には約束事があります。
それは大人たちは絶対に縄編みに関して進展具合などを聴いてはいけない
これ絶対的な約束です。

子供たちが自分たちの内なる力のみで挑戦します。
そして年長全員が編み終わると縄跳び練習が始ります。
全員が編み終わって始まるのです。全員!!!!





ここがポイント!
子供たちは縄跳びをしたいけど全員が終わらないとできないことで苛立ちを見せたり、教えたりなどの様々な行動ができます。
そして中々編むことをしない子供の親がその様子を見て言いたいけど言えないという葛藤が起こります。
それでも大人たちは決して触れてはいけないのです。縄編みをしてと煽ってはいけないのです。
子供たち同士の力でここを潜り抜けなければいけない所なんです。

長男が小学生になった時
長男が小学生になり課題に向き合った時に、この縄編みに対しての重要さを実感することが出来ました。これはもの凄く重要です。
子供たちが課題に向き合うときに、親は口出さず課題に向き合い乗り越える力を付けてあげる。


今まで僕は如何に口出し手出しが多かったということがわかりました。
ものすごく干渉していたことを痛感した時でした。

今回娘も課題に向き合い乗り越えてくれてます。
娘の課題でもありますが、親としての課題であり学ぶことがとても多いことと感じる行事です。

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2015年8月26日水曜日

子供に怒りたくないけど怒っちゃう。やろうとしてるけど、できない。ダメな親と嘆く前にこれを読んでほしい

日々子供たちと暮らし、何だかあっという間に一日も終わる
そんな毎日です。
北海道の夏は短く、お盆が終わり寒さを感じる時間も増えてきました。

もう扇風機も必要ないですよ。さびしいですね~

そんな日々の生活の中で時間に追われ何かに追われ・・・
そうなると子供たちが時間を無視して動き回りこっちの都合もお構いなしの状態を見ると
ぼくはイライラし声を無駄に荒げてしまう。
はやくしなさーーーい!!!』プンプン

後々になってそこまで言う必要なかった。
もっと子供たちに自発的な行動を待てばよかった・・・
なんて後悔がどっと襲ってきます。
またまた反省です。いつもいつも反省の嵐

何故
、自分では子供たちの自発的な行動をと考え、日々そうしようと思っているのに出来ないのか。
毎回毎回どうしてどうして・・・・
こんなことを悩み、ここの所ずっと考えていると 
ふとある記事に出会いました。

[L] 時間が足りないのではなく、MPが不足して何もできないとき | Lifehacking.jp







『注意力』『集中力』などが足りなくなっている。
記事では時間があるのに手を付けられない、そんな問題に対しての記事なのですが、僕の状態で表すと頭では気を付けているのに実際の行動では出来ないという状況。

僕自身の意識が弱いからと言えばそれだけなのですが、記事を読むと分かりやすくかいてありまして、注意や意識を向けるにも限度があり、それは使えば消耗するというもの
つまりRPGでいうところのMPになるということです。
(MP=マジックポイント)

そしてこのMPは単に時間が経てば回復するものではなく、
MPを減らすことを避けることが重要
記事にも書いていますがネットサーフィンやSNSなど、なんとなく集中力をつかっているもの。
判断することが増えてくるとMPはドンドン消費してしまう。

こういったことがMPの消費となってしまうということです。
これにより頭では意識しているつもりでも実際には行動として動くことができない。注意力集中力が弱まってしまい。
子供の言動に対しての意識をしっかりと向ける就ちゅができないのではないかと考えました。

僕はネットサーファーなので(かっこよく表してみましたがダメですね)・・・
ネット中毒なのでネットの記事を読んでは無駄な思考をしてばかりいます。これだけが原因ではないと思いますが、子供たちにもっと注意を向けれるように無駄なMPの消費を減らす行動の必要性を感じました。

ちなみにゲーム等は集中力なども必要としてくるためにMPの消費がとても大きいようにも感じた。ゲームばかりしていると子供に対しての注意力低下になり、子供が絡んでくるとウザったくなったり、うっとうしく感じたりするのかもしれません。

このMPという考え方は僕の中ではとても理解しやすいものです。

今までの子どもに対する接し方を頭の理解だけではなく、実践的に遊びを中心に接していこうと思う今日この頃です

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2015年8月24日月曜日

不屈の夫を目指すことを心に決めたその訳は? 夫としての心構え編

先週土曜日に年長さんのちょっとした集まりがありました。
ミニレク
海の家にお泊りをして夜は語らう

そんな楽しい宴に参加してきましたよ。

夫婦そろっての参加が多かった今回の飲み。
当然話題は夫婦の話題

そこであるお母さんが発した一言にお父さん達は驚愕
N母『うちの旦那はことあるごとに愛しているよ!って言ってくる
父一同『えええええええええええええええ』
N母『ボディタッチ(臀部)もしてくる
父一同『おおおおおおおおおおおお』
N母『怒って止めてって言ってる』

父一同『・・・・・・(そうだよなぁ)』


そこでN父登場

僕はある疑問をぶつけてみた
嫌がられ怒られてるのに、なぜ懲りずにやるのか?
N父『妻の反応は関係ない!!!!!』


僕(キタァァァァァァァァァァ)

僕はそれまで不思議だった。
嫌がられ怒られそんな妻の態度になぜ何度も何度も『愛してるよ』とかボディタッチを繰り返せることができるのか!?


答えは簡単だ


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そんなの関係ねぇ~


そんなの関係ねぇ~
うぃ~~~

これから子供たちが巣立ち、夫婦二人になる。
そんな時に夫婦二人が険悪であればどうするのか
何のために結婚したのか
とN父は語る。

僕は ものすごく納得した。
僕はA型の神経質だからか、ものすごく妻の言葉を深く受け取り、考えていた。
それはそれは深く考えていた。
深すぎて窒息するくらい考えた。
嫌がれる→○○という答えしか出てこない。

そんな僕の思考を一気に吹き飛ばした人が現れた
N父だった。


正直驚いた。
これほどまでに妻からの言葉態度を受け流し、
自分の思想を行動で表す不屈の夫がいたとは!!

これからは僕も不屈な夫を目指す


そうです!師匠を見習ってやってきます。

レクのスイカがもの凄く甘かった
ごちそう様




2015年8月21日金曜日

今の日本人に足りないもの。ゴーマニズム宣言戦争論を読んだ


色々と話題となっている安保の件もあり、自分なりに少し勉強しようと色々と知識を集めています
その中で面白い本に出会ったのでご紹介
ゴーマニズム宣言
戦争論
新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論
小林 よしのり
幻冬舎
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結論から言いますと、猛烈におすすめ本
今まで自分が片方からの情報しか入手していなかったということがよくわかりました。
こういった情報も一つ自分の中に入れる重要さを猛烈に痛感。
ぜひ読んでもらいたい
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僕なりに感じたこと
戦争をするに当たり八紘一宇(天皇のもと民族は全て平等)を掲げての戦争であり、日本人としてアジア人として人種差別に対しての戦いでもあった。
負けたことであらゆる罪を咎められたが、資料として改めて見ると矛盾が多く信用性はもの凄く低い。
日本は悪い国だ。虐殺などをする悪人だというイメージを植え付けられた感がもの凄くあり、それは戦後の敗戦国ということから米国などの政策によるところがありそうだ。

そのため我々は日本が悪という印象から、愛国心を無くし公共性というものが低くなっている
これに反して個人的な自由だけを尊重し、日本の国内は一人一人がバラバラに感じる。

個人を尊重するあまり公共性が低い。

自分勝手な行動が多々目立ち、それは子供の教育というところでも目立つ。叱ることができない親、他人の子どもにも叱ることができない大人、見て見ぬふり、自分に危害が加わることを恐れたり、他人に迷惑をかけていないならと礼節的なことも伝えることを忘れてしまった日本。

本来、個人の自由というのは公共性の中にあるものであり、 その中の自由には束縛と制限があっての自由である

日本人であるという自覚があり、そこから自由を主張することになるのだが、日本人という自覚がもの凄く低い、別に俺は俺、私は私という感覚が育っている。
これは大人も子供も一緒である。

論理ある個性は我慢の中にしか生まれない。
やりたくない、したくない、興味ないから関係ないでは論理ある個性は育たない。だから自由勝手な個が育つ。それゆえに身勝手な行動が様々な事件を引き起こす。

我々の先祖は戦争に参加したが、それは民族の平等を守るための戦争でもあり、誇りとして思うところも必要なのではないのだろうか。

戦争の反対は平和ではない
それは平和とは秩序であり秩序の反対は混乱になる。
つまり戦争の反対は話し合いになる。





衝撃的な内容の本と思われるかもしれない。
それでも一つの資料として読む価値は十分にある。

僕は父親として戦争のことも子供たちに話す必要性も十分に感じたし、子供たちには自分たちが日本という国の人間であり、その中の一個人ということを認識させないと行けないと感じた。



国歌斉唱など僕は面倒に思っていたくらいだ。でも海外のイベントなど他の様々なところでも各国々の人は国歌を歌う場面を見る。日本で国歌を歌う機会は少ないように感じた。
そしてあえて歌う必要もないと思っていた。


でもこれ違うね。
僕は日本児である以上、国内で暮らしている以上は日本人としての誇りをしっかりと持たなければいけないんだ。僕たちの先祖が戦争に参加した。戦争を○か×かという論争はしない。
ただ参加しているときの気持ちや特攻隊として何を守ろうと考え、何に命を懸けたのか
自分の生きがいを何に見つけていたのか
そういったことを十分に考え子供たちに伝える義務はあるのではないかと感じた。




2015年8月20日木曜日

年長さんの海小屋での合宿 夕食は流しそうめん

年長さんの合宿が先日ありました。
娘が年長なので僕も準備に参加
今回は海小屋でのお泊りとなり子供たちへの夕食は流しそうめん

流しそうめんの準備をお父さんたちで頑張ります

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色々とてこずりましたが何とか完成。
高さが高いので急きょ三脚になっている木材を切断
子供たちにちょうど良い高さになりました
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娘も喜んでくれてうれしいな。
年長とその兄弟も参加し、小学生もいましたがものすごく興奮してた。

そして夕食はそれだけではございません。
超大盛り天ぷら
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揚げるのが大変だったんだろうなと感じる量です。
もちろん子供もも大人もモリモリ食べた。

夕食を食べ終わり雨だったので散歩せずに就寝。

おやすみぃ~



2015年8月17日月曜日

良い夫ってなに?

お盆が終わると北海道は気温がどっと下がってきます。
これで夏も終わりかとしみじみ思うところです。

我が家では3年ぶりのキャンプに行ってきました。
準備や移動片付けなどで疲れもしますが、家族そろって遊ぶのはとても癒されます。
この週末で仕事の疲れなども精神的な疲れなども吹き飛ばしたなと思いつつ
夜に見たSNSで妻のコメントに一気に疲労感が襲ってきた。


良い夫ではないが、良い父だというコメント

一見良い父と認められてうれしくもあるが、良い夫ではないというところが一番気になる。
男が子供たちと接したり家事をしたりするのは妻への感謝や喜びを提供したいというところがあるのに、結局は良い夫ではないという締めくくりになってた。

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がんばっても報われない。
一体何が良い夫になるのだろう???
見た目の良さだろうか、それなら諦める
収入の高さだろうか、それなら諦める
運動能力だろうか、それも無理だな、だから諦める

奥様方が言う良い夫の定義とは何なんだろう。
そこが解明しない限り、日々頑張る努力は全て無駄な努力になっている。
逆に底がわかれば力の集中どころがわかり、もっと日々を楽しく過ごせるのではないだろうか

物凄く知りたい。


では聞けばいいとなるが、聞けない。
聞くと今の自分に価値がないことを改めて認識してしまうことが怖い。だから知りたいが聞けない。臆病者と自覚しつつも稼げれば変わるのだろうかと思いを持つが稼げない。稼げないから自信もない、自分に価値を感じ取れない。

難しいものです夫婦という組織
会社でも共同経営は難しいと聞きます。
そんな中で家族という会社を夫婦の共同経営で営むわけですから、やっぱり難しいですね。
でも、つぶすわけにはいかないから試行錯誤で挑戦をするしかない。




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