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2019年8月10日土曜日

言われてもやらない、叱ってもやらない、怒っても時間がたてばまたやらない。


様々な親の期待や希望、そういったものが子供への声掛けになったりします。

○○になってほしい
○○やってほしい
○○しないから
○○になるように

どうして伝わらない
どんな言い方がいいのか
何が悪かったのか

そして僕がよくやってしまうのが、結果を想定して声をかけること


片づけてと声をかける
 ↓
子供が片づける

これは当たり前ですが、この声掛けにより片づけることを条件として伝えている
・片づけてと言ったので片付ける行動をする
前提として声をかけてます。



結果を意識して伝えてる
言い方を変えても結果的に「子供が片づける行動をする」という結果を意識して伝えています。

結果を意識しているので
片づけると思って伝える。
 ↓
実際に片付いていることはない
 ↓
何度も伝えたり、最終的に怒ったり

こういった声掛けに異議を唱えるつもりはありません。


ただ声をかけたからと言って、
その効果をすぐ期待してしまう悪い癖が
僕にはある







怒りに代わる
言ったからには○○してほしい。
○○っていったのにやってない。
何度も○○って言ってるよね!


これらは全て言ったことが伝わり、子供が理解し行動してくれると信じているから。
でもその信じてる気持ちが、行動に出ていないことで
絶望に代わり、
怒りに代わる。


何度も何度も怒られた子供は自己肯定が下がり、実行する意欲がさらに低下

意欲が下がったことで他の行動やもできず、
同じことを何度も言われ、
出来ずが続き再び怒られ・・・


悪循環ですね。




魔法の言葉を探す


子供たちにどういえば伝わるのだろうと考えてしまい、
魔法の言葉を探しますが、
ハリーポッターでもない限り魔法は難しい・・・


何を伝えればいいのか
なんて言えばいいのか⁉


伝わるときもあれば伝わらないときもある。
片づける時もあれば片づけないときもある。
つまり子供次第。

そうなんです。

子供次第なんです。



だから、大人であり親である僕がどう考えて言葉を伝えても、子供次第ってことが前提にあるんです。

もう一度言います。
子供次第。


伝える言葉をアレこれと探すよりも、受け取る子供に意識を向けないと意味がないってこと。


片づけたり、
廊下を走らないと理解したり、
やらないといけないことを理解したり。

こういったことを
なぜ受け止めれないのか、
どうして行動に移せないのか、
なぜ大人の声が届かないのか
ここに視線を合わせていくことが大事だと感じてきました。



そのために何が必要なのか⁉
日常生活として大前提にしないといけない部分なのかな?と最近よく考えます。


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2019年7月19日金曜日

子供にダメって言ったらだめなのか⁉


子供を育児するときに、昔はダメを言わない様に、否定をしない様にと意識してた。
だから、話すときにどうしても回りくどくなったり、いろいろと例えたりして話は長くなるが、それでも「ダメ」という単語を使うよりはマシと思い懸命に努力した。



実際、子供が大きくなるにつれ、ダメという言葉の意識にあまり大きな効果がないことに気付く。


ダメと言わないから○○ができるようになるとか
ダメと言わないで伝えたから、次回からの行動が変わるとか



僕は感じられなかった。


あるとき、ダメなことはダメ!とはっきりと伝えることにしてみた。

結果は全く変わらず

結局、ダメという言葉に囚われすぎて本質的なところに目を向けれていなかった気がする。



ダメという言葉に爆弾的な破壊力があるわけではなく、ダメと否定したままの状態がよくないのだろう。

ダメなことはダメであるが、その後のフォローや理由を伝えていくことが重要なのかもしれない。


そしてダメなことの
ダメの伝え方
受け取りてである子供たちの受け取り方で変わる気がします。







2019年7月18日木曜日

子育ては何を意識をするのか


陶芸って一度やってみたい

子育てをしていると、つい色々と口出しをしてしまう僕です。
あれしなさい
これしなさい
アレはどうなった
これはどうするんだ。
どうする?
やったか?

文字にしたら驚くくらい指示は求められていない助言の嵐でした。
自分で自分に驚いた。


よく子供たちが散らかしたものに対して、片づけてと言って片づけない様子から腹が立ったりします。

これはこちらが言った言葉に対して子供たちの行動が違うというところなのですが、こちらが言ったことに対して、子供の行動を勝手に期待しているところのギャップなんだと最近感じてます。



言ったことに対して思惑通り動いてほしいのは子供をコントロールしているのと同じであり、子供に対して自分の想定内の枠を与えていることと感じます。

ただ電車の中で走り回ったり、騒げないところで騒いだりすることを注意するのは大事です。


では言っても聞いてくれなかったり反発的な行動をするのは、
どうすればいいのかとなりますが、

問題は受け取り方にあるんだろうと考えています。


子供たちは様々な情報を日常で受け取り自分たちで処理していきます。
その処理の仕方は生活を営む家庭から生まれた価値観により判断していきますが、
この価値観の育て方が大事なんだろうなぁ~~~と考えるわけです。


伝えたこと、注意したこと、叱った事後に


どういった行動をみせてくるのか


廊下を走らないでと伝え、一か月後の日常ではどんな生活の変化を見せてくるのか、
こちらの気持ちを受け取った時に、
正しい行動を伝えた時にどういう受け取り方をしているのかが、とても大事に思えるのです。


だから、子供が言うことの利く魔法の言葉とか
これを言えば子供が行動するなんてことは考えず、



「育児とは子供の器を作ること」
と考えていくことが重要と感じています。


廊下を走らないでと伝えた子供が、一月後、廊下を走らないというポスターを作るのか、走っている子を注意するのか、再び走るけど誰もいない放課後だけにするのか、
そういった行動の変化を見守っていきたいと考えてます。

これ一つあると色々と遊びが広がる




2019年5月17日金曜日

子どもの悪さ、親の謝罪。ここから生まれる問題点


子供たちの成長は本当にあっという間
ついこの前に押し目を変えていたと思ったら、
中学生に

驚くばかりだ。

それだけ自分も年を重ねていることなのだが、人生あっという間というのは本当ですね。


子どもが成長していく過程に様々なことがあります。




それは子供だけではなく、
周りにいる大人たちも同様

どちらかと言うとこの大人たちの方がプライドや見栄、損得などが絡み、話をややこしくしているところが大きい気もします。

小さい子供と言ってもやられる側の親と、やる側の親の気持ちの持ちようは様々。

悪いことをしたら叱るのは当然。

そして、その悪いことをした親の謝罪
ここが今日の課題だ。

悪いことをして親がその責任として謝罪するのは当たり前。

では、プールで遊び、AにBが水掛けた。
Aが泣いた。
それを見ていた大人がBを叱った。

ここまでは何も違和感がない。

大人がBの親に謝罪を求めた。

ここだ。

悪いことをして叱るのは当然だが、その悪いことをどこまでのレベルとして受け取るのか
子ども同士のじゃれあいとしては受け取れず、親にも謝罪を求めることなのか。


ただじゃれあいとしても、やりすぎはある
その際に大人が叱るのは当然であり、全てを無視しろとは言わない。
問題はその結果を大きくしてしまうこと。

悪いことをしたのだから罪の意識は当然
これは同意する。

しかし、子供の成長を考える大人として、Aにも、そしてBにも成長を求める。
罪の意識の植え付けとかは別として、
もし、怒り方として子ども自身を委縮させるような結果になるのなら、その大人の行動は改めて考えねばならない。


そこまで大きな事件にするつもりがないが
謝罪はしてほしい

しかし謝罪を求めるくらいの考えなのである。
つまり、起こった事を大きくしている。

子どもを委縮してでもコントロールしたいことになってしまう。


改めて考えてほしい
子どもたちを、お互いの子供たちの成長を願い、係わってきているのに、
その成長を阻害するような対応はいかがなものだろうか。

謝罪を求めるような罪なのだろうか

そんなに悪いことをしたのなら謝罪も必要だ。

しかし、、1歳の小さな子同士のじゃれあいから、片方が泣いたとしても
大人に謝罪を求め、子供には犯罪的な行為だからと戒めるのだろうか

子どもには叩いたら痛いんだよ!って感じではないだろうか?
痛いんだよっていう事柄を事件性として謝罪を求める行為は、何故なのだろうか


一番の問題点
謝罪を求められた親は当然子供を叱る。
再び同じことが起きたら、再び謝罪を求められるからだ。
それは、何を引き起こすだろうか⁉

子供の成長の過程で
1歳では難しく2歳から理解できる内容としたら、
謝罪を求められた親は次の行動をとる。

1歳の我が子に同じことをさせない様にコントロールする。

理解できるのが成長過程としてまだ先であっても、謝罪を求められるなら子供をコントロールしなければいけない。
つまり子供の自由にはさせられない。
例え理解していない子でも。


謝罪を求めるのなら・・・
そこまですることなのか!?を考えねばならない

これは親としても子供としても成長を阻害することになる。



お互いが大人としても子供としても学びの場であり、成長を委縮させるような展開に持って行ってしまうのは非常にもったいない。


でもこういったことはお互いの勘違いから生まれる。
実際にじっくりお互いが話、お互いの歩み寄りにより理解しあえる。
つまり、謝罪が悪いとか謝罪しないのが悪いではなく

お互いの価値観の違いを理解することが大事って感じがする

2019年5月16日木曜日

叩く子、手が出てしまう子はどう対処する?



子どもの行動に白か黒かと区別するようなことは未就学児童には早い気もします。
ダメだからダメも必要ですが、失敗から人間関係を肌で感じ、叩いてばかりいると友達も離れたりしていくように、大人がいちいち介入していると肌で感じる前に行動の制限をしてしまう恐れのほうが怖く感じます。




小さいうちに行動を制限され、その影響から良い子を演じるようになってしまう方が怖い。

小さいうちは手が出てしまう子がよくいたり、それが叩かないで話そうねと伝え続けることで成長とともになくなっていくというのはよく聞きます。



この叩いてしまうのは
言葉として伝えることが難しく、手が出てしまうなどがあるようです。
何をしたから明日からそれをやらなくなるってことは考えたくないですが、対応策の一つとして、話し合いによって解決できるってことを感じさせるのも大事かもしれません。


これは友達同士で体感するには難しところもあるので、親と子の中でやるのが一番なのかとおもってます。




子供を叱るとき、理由も話させず、欲望を聞きもせずに、ただダメだ!ダメだ!と怒ってばかりいると、話し合いのコツを感じずらくなるのかもしれない。




そのため、何かの注意をするときはむしろ話し合いという手段を少しでも理解させるチャンスなのかもしれない。





2019年5月9日木曜日

楽しむために、より楽しむために



子供たちが意欲的に!をモットーを考えていますが、
意欲を伸ばす一つの手段として前回の記事でお伝えした
どれだけ楽しめたか
どれだけ満足できたか
この辺が重要と感じております。


そこでどうやって楽しませるか
「より楽しむためには」今日のキーワード

笑わせるギャグをやる
くすぐる→これは間違い(気持ちがなくても身体的に強制的に笑わせるから)
イベントをやる
想像させる

これらは楽しいと思う結果的なことであり、今日のキーワードはこれらに対して楽しむには。
ここがポイントです

与えられた環境、偶然出会った環境をより楽しむために。

例えば小さな発見でもそれを楽しむことはできる。それがその子の好みによるかもしれない考えがちだが、実際は好みの問題ではないようです。

それは子供の感性の問題。

楽しめないのは感性がないのか⁉
そうではなく、子供たちはみんな感性をもっている。
この感性を日常的に研ぎ澄ましておく必要性を非常に感じました。


感性を研ぎ澄ますことで、触れたこと感じたことに反応しやすくなる。
反応しやすくなることで、小さなことも大きく感じ、感受性がさらに育っていくように感じます。

つまり、小さなことでも楽しめるように日々感性の研ぎ澄ましが大事なのかなと艦居たりしていたところです。


ゲームなどが悪いとは言いませんが、感性を研ぎ澄ます時期にここにハマってしまうと、相当なことがない限り感受性に反応を見ることができません。

日常的に感性を研ぎ澄ます生活を意識するだけで、出会うことからの受け取る恩恵は非常に大きく感じます。





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2019年5月8日水曜日

親同士の交流

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人が集まればいろいろな趣味嗜好がある
それを子供のためと言って人の趣味に合わせる必要もない。

だから、やりたくないこともやらなくていい。

どこまでが???

釣りに誘われ釣りは嫌いなのに無理に釣りに行くのは、
やりたくないなら無理に行く必要性は感じないが、
もし子供がやってみたいとか、好きだからやりたいとなるなら、子供が自分だけでいけないのなら協力することも有りかなと思う。

当然、必須ではない。

ただ考えてほしいのが、いろいろな環境に行くことで様々な思考が生まれる。
これは大人も子供も同じ。

そういう意味では親としては面倒だと思うが、そういった場に参加するのも一つの育児でもあるかもしれない。
もちろん参加しないのも有りだ。

何もしないと何もないが、何かすれば何かが起こる
これをワクワクをもって試してみたいと思う今日この頃




2019年5月7日火曜日

無認可から認可保育園になった。何か変わった?


次男が通っている保育園が認可になった。
認可になると何故か様々な噂が飛んでくる

実際には認可と認可外は市などからの認可があるかどうかだけで、それほど違いはない。
認可無認可違い


そこを噂が噂を呼び、認可になると今までの保育と変わるとか
誰でも入れるから変わってしまうなどの声を耳にする


実際のところどうなの!?
実は基本変わってない。


なぜなら保育園を選ぶ権利があるのは親である
親は数ある保育園の中から選択して、決める。
つまり自分で選ぶ

選ぶ権利があり、保育園の方針に従って預けて支払う義務が生じる。

選ぶということはそういうことであり、選んでから知らんぷりはできない。

保育園側は受け入れを選別する権利はないが、自分たちの保育を掲げる権利がある。
その代わり掲げた保育理念に沿って保育をする義務を生じる。

この親と保育園のお互いの権利と義務によって保育の育児は成り立っている。


親がたくさん集まれば十人十色となるが、基本的に親一人一人は自分たちで選んで入園している以上は、何かしらの共通点をもって入園している。




だから、無認可保育園時代から認可保育園になった今でも基本的なところは変わっていないはず。

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2019年5月6日月曜日

仲間意識は無いとダメ?




まず最初に理解しておきたいのが、
集団意識や仲間意識は、
ないとダメってことではない。

そういう考えでの話ではなく、別な角度での話として聞いてほしい。


子供個人が本来持っているもの、持っていないものがあったとして、
持ってるから凄いとか持ってないからそれが欠点だ!という話でもない。

○○を感じやすく
○○を意識しやすいように
○○を養う、培うために

こういったことが基本背景として読んでほしい、聞いてほしい。


集団意識や仲間意識はもともと在るとか子供によって意識が薄いとかあるかもしれないが、少しでも仲間意識を感じやすいように、小さな仲間意識をもっと養うように、仲間意識の薄い子には仲間意識を感じてもらえるようにと

保育園側が保育をする





仲間意識などを課題
として保育しそれが実際に効果としてどういった形で現れるか、


園側の取り組みに対して仲間意識が思った以上に成長しない、効果が見えてこない。
となった場合


Meeting, Business, Brainstorming, Brainstorm
職務として
取り組んでいる「仲間意識の芽生えや成長」に対して反省と対策をする。

もっと○○してみようか
少し○○を取り入れてみようか
○○が負担なら無くしてみようか
こういったことを日々の課題を通して行っていく、

そして取り組んだ仲間意識の芽生えなどを日々の保育を通して確認していく




ただし
課題に取り組む前提にあるのが、
親の協力


各家庭が同じ課題として向き合い方向を同じにすることで、課題に対しての対策が生きてくる。


反省と対策をするうえで、家庭の協力がなければ、保育園側として取り組んでいることがすべて無駄になる。




ここが様々な考えがあるところ。
各家庭の方針があるから保育園から言われるなんて関係ない‼

しかし、
保育園側が共同保育を掲げており、
お互いに共通の課題に取り組むことを前提としているならば、各家庭の育児として取り組むべきところと考えたいかな。




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2019年4月16日火曜日

子供の充電を意識して接してみる

Technology, Digital, Online, Hand, Telecommunication


子供たちが日常で活動するうえで意欲を大事にしていきたい!
この意欲を大事にするというのがものすごく重要で深く難しく感じたりもしてる。

この意欲を大事にする、意欲的にするという子供たちのエネルギーは、僕たち親たちの接し方で変化していくことを実感したんです。

それは・・以前次男が水に潜りだした時

水に潜るのが苦手な次男に何とか潜る楽しさをと思って色々と試していたが、全く効果なかった。
From Behind, Boy, Fence, Outdoors, Kids, Man, People



無理やり楽しませるのも違うので、水に潜ってもらうことを考えるのやめて一緒にお風呂に入っているとき、次男が僕の行動で笑い出したことがあった。

それを何度も何度もやると爆笑してた。
めちゃめちゃ笑い出し
そして


突然、潜りだした。


の楽しいと思えていることがとても重要に感じ、楽しかったと思えることが次の活動エネルギーになるのではないかと最近思い始めた。

今までの僕は、何かをやってもらうときに、その課題に対して言い方を変えたり、やることの重要性を伝えたり、いろいろな伝え方をしてきた。

でも、それは間違えだったような気がする。


目の前のことに対応するエネルギーは、その時点で足りなければどんな伝え方をしても所詮は一時しのぎでしかない。


そしてその意欲のエネルギーを貯めるために日常的に否定をしない様にと思ったり(実際は全くできてない)

褒めてみたり(うまく褒めれてない)色々とやってみた。

この次男の潜りを改めて考えてみると、意欲の充電は

どれだけ楽しめたか
満足できたか

これなのかもしれない。
Children, River, Water, The Bath, Splash, Boys

中学生になる長男にいつも助言や注意ばかりをして、行動の改善を意識していたが、まったくもって方向違いの対応をしていたのかもしれない。

そこで、ここしばらくどれだけ満足を与えられるか
どれだけ爆笑させられるかに焦点を絞っている。

今後どうなるんだろうなぁ~と一人ひそかな楽しみを持っている僕です。



2019年4月5日金曜日

こうすれば子どもは「自発的」に学び始める! の記事を読んで

とても面白い記事をWEB上で見つけました。
ここにご紹介

勉強しなさいを連呼しても効かない

どうしたらやる気を引き出せるのか


勉強でもそれ以外のことでも同じですが、人間が「何かやるぞ」という気持ちになるためにいちばん必要なものは、

安心感


自分が「認められている」とか「理解されている」と感じられて、安心感があるときに、「じゃあ、新しいことに挑戦してみよう」とか「ちょっと自分を変えてみよう」などと思えるんです。



だからまず親は、子どものことを理解してあげる。
そこでお子さんは安心感を抱いて「やってみよう」という勇気が湧いてくる。
そういうふうになるのが大事


――具体的には、どんなふうにすればいいんでしょう

気づいて励ましてあげる」ということが、とっても重要です。

例)うちの娘は漢字がすごく好きなんです。お兄ちゃんもいるので、どんどん自分で新しい漢字を覚えていっちゃう。
だから、同じ漢字を何十回も書かないといけない、という漢字の宿題が、すごく嫌だと言うんですね。まぁ、あれはあれで、精神鍛錬にはなると思うんですけれど。
でもうちの娘は気が強いので、3回くらい書いたらあとは、「もうおぼえました」と書いて、白紙で提出するんです。




最初は僕も「これはどうかな?」と思ったのですが、妻と話して「これはこれで、いいんじゃないの?」と思うようになりました。

自発的に勉強をするように!

そこで担任の先生に「こういう状況で、どうしてもやりたくないと言うので、すみません」と説明をしたら、先生も「まぁそれは、花丸はあげられないけど、認めますよ」というふうに対応してくれたんです。




そうしたら娘はそのうち、自分で漢字の成り立ちとか、熟語を調べたりして、その空欄を埋めるようになったんです


これは成功した例かな、と思います。先生とコミュニケーションをとって、僕も励ましたりしたので、娘は「私のことを認めてもらえているんだ」と感じてやる気を出して、自分から次のステップに進むことができたんですよね。


――「どうしてもやる気になってくれない!」というとき

やっぱり「騙しだまし」やっていくしかないんだろうな、と思います。
いくら「勉強しなさい」と親が言っても、あまり効果がないことは、皆さんよくご存知でしょう

だからお尻を叩くだけではなく、騙しだましでもいいから、「あ、それうまくできてるじゃない!」というふうに乗せることも大事です。



いろんなツールを使って、子どもの興味を引き出すようなやり方をできるといいですね


勉強のときの姿勢

「勉強に対する姿勢」ではなく、本当に姿勢が悪いんです。
私としては、テーブルや机に向かってきちんと座って勉強をしてほしいんですけれど、立ったままやったりするんです。あとは、リビングのフローリングの真ん中で「丸まってるな?」と思ったら、そこで勉強していたりして(苦笑)。



勉強を全然しないときには、「何でもいいからやってほしい」と思いますけれど、実際にし始めると、今度は「やり方がちょっと」と思ってしまう。
知らず知らずのうちに、要求のハードルが上がっていくところはありますね(笑)。
でも、立ったままやるのも、僕はいいと思いますよ。



僕も家で仕事をするとき、立ってやったりしてますからね。ずっと座ってパソコンに向かっていると疲れてくるので。
ストレスは人それぞれ感じるものが違う


こんな調査結果もあります。アメリカの男女共学の小学校で、男の子と女の子に分けて、それぞれ好きなように授業を受けさせたんです。そうすると男の子たちは、寝そべったままとか、立ったままで授業を受けたそうなんです。だけど、その男の子たちのクラスは、成績が上がったんですって。



男の子はまず、じっと座っているということ自体が窮屈で、すごくストレスなんですね。だから自由な体勢にさせてストレスを減らし、勉強に集中させる、というのもひとつの手じゃないかと思います。


寝転がってやってもいいし、立ってやってもいい。もしたまたまテーブルに向かって座ってくれたら「おぉ! ちゃんとやれているじゃない!」と励ましてあげる。そこを見逃さないのもポイントですね。








お子さんが言うことを聞かなくなってきたのは、決してこれまで甘やかされてきたからとか、そういうことではないと思います。

子どもは親がどう反応をするか見ている

成長過程において、実験をする時期があります。
ちょっと悪い言葉を覚えてきて、「この言葉を使うと、どういう反応があるのかな?」とか、「こういう悪態をついていると、ママはどんな顔するんだろう?」とか、試しているのかもしれません。


そこで親が珍しく怒ったりしたら、
息子さんは「あぁ、ママでも怒ることがあるんだな、これは時々気をつけなきゃいけないぞ」とか、「こういう言葉は言うべきじゃないのか」などと学ぶわけです。


そういうプロセスも必要なので、あんまり「こうしなきゃいけない」という正解を求めなくていいんじゃないでしょうか。

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆


ネットで見つけた記事でした。二人の掛け合いで話が進んでいきますが、そのまま載せると長いので省略して簡潔にしています。

僕は○○してほしいとか、○○になってほしいとか様々な期待を子供たちに押し付けているのを最近気づきます。
その押し付ける期待が子供たちにとっては邪魔でありウザイということになっているんだなぁと

子供は子供であるべき姿なのですが、親としての価値観を子供に押し付けすぎるのも考え物であると感じました。




2019年4月3日水曜日

人目が気になる


どうしても目線を気にしてしまうことがあります。
目線よりも人からどう見られているかというところでしょうか。


劣等感や自己否定感が強くなると人の目が気になり、相手が自分に悪意(悪く見ている)を持っているように感じる。とのことらしいです。



気にしなくてもいいのに気にしてしまう。

○○に見られたくない
○○と思われる
こんな感じから人目を気にしてようですね。

裏の背景として劣等感や自己否定感が強くなっていることがあったとは気が付きませんでした。




2019年4月2日火曜日

遊びから調和


遊び

遊びは知れば知るほど大事なことというのを実感していきます。

子供が最初に遊ぶ相手が親との遊びが多くなっていると思いますが、この親と一方的な遊びに始まり、調和へと移行することが重要なようです。


追いかけられたり追いかけたり、
捕まえられないと怒り、
捕まれと催促してきたりして調和を図るようです



遊びがあるからこそ、学びがある
こんなことを実感してしまいます。






2019年4月1日月曜日

子供の遊びルール

子供たちが遊んでいる様子を見ると
ほのぼのとして楽しいですね。

そんな遊びの中にもやはりたくさんの矛盾が存在しております。

体の大きい子が一方的に勝つ遊びだったり
リーダー的な子が自分の有利な展開で進めたり。

これらを大人がみて一つ一つ正していくと、子供たちが作り上げた世界を壊すことになってしまいます。
子供たちはこの矛盾したルールの中で小さな社会を感じ取り、不自由を感じその中から様々なことを学んでいくからです。



熱中する遊びには不自由なルールを守り、役割を分担し責任を果たしあうからこそ遊びの役割が大きく、不自由なルールを守ることから社会のルールを守ることに繋がっていくのです。



ただ一方的で不自由なルールにいつまでも従うこともなく、不満が溜まればその不満をエネルギーとしてぶつけてくることになります。


そうすることでルールの改定など互いの距離感の調節に繋がり、人間関係のコミュニケーションを学んでいきます。


独裁的な遊びには不満が募るもが当たり前で、その当たり前に対して子供たちがどう行動するか、
これを親としては見守らなければいけないところな気がします。




2019年3月31日日曜日

感性 佐々木正美先生抜粋


感性

自分というものがあり感性が育つ、

自分は愛されている実感から備わる。

自分に自信が備わり自由を感じる。
人目などを気にしていればどうしたいかと感じることが出来ない、
どう感じないといけないかという定義はない。

自由な感性は相手の立場を考えることが出来る、自分に余裕がないと考えることが出来ない


欲求不満があると感性が育たない、欲求不満は二通り、
1、放任、かまわれずほっとかれて
2、過干渉、過剰な期待によるところ
安心感が土台





想像は模倣から始まる

模倣は尊敬から始まる。
模倣が出来て創造性ができる。

依存するから自立できる

「自分の欲求を受け入れてくれた親を信じることが出来る」が基本にあって自立につながる。


自主性や主体性があって創造性ができる

自主性は自信があって育つ
自信は欲求が満たされることで育つ
依存体験すると自分の存在に誇りを抱き、
共感や感謝を感じやすい、
安心して人を尊敬できる。


模倣の上に自主性や主体性があるから創造性を培うことが出来る、
そして出来上がったものが誇りになる。


依頼は、人に用件を頼むこと(request)
依存は、他にたよって生存・成立すること(dependence)

依存と信頼関係

依存させると自立する

依存について

依存した子は自立する





2019年3月30日土曜日

自立 佐々木正美先生


人に頼ることは人を信じること

教えるほうが自立とは限らない、教えてもらっているほうも自立

親を信じることから始まる

親が子供を信じるから子供が親を信じる、

この子にできるかな、ちゃんとできるかな、こんなこと経験してないからうまくできなくて当然(環境とその子の調和を信じられていない)



人を信じて自分を信じることができる

人を信じなくなったら人に安心してものを頼めなくなる
→孤立感が大きくなる
→頼れる人を探しに行く(保健室など)


先生に一対一の関係を求める子は友達関係を作るのが苦手、
先生に親代わりの役目を求めていることから自立できていないのがわかる。






自立できている子は先生と一対一の関係を築くのを嫌がる

口うるさくいってしまったらひと段落した後に償ってあげる

一緒に遊んだり、アイス食べたり、ほっとさせることも大事


人間関係がうまくいっているときは、
パートナーシップがうまく機能しているとき。



パートナーシップとはお互いがパートとパート部分を構成していること、つまり与えているものと与えられているものの価値が等しいとき

教えることがうまい先生は生徒から学ぶ力がある人




意味のない夜更かしは昼間のストレスを何かで発散しようと模索している

佐々木正美の子育て百科 ~入園・入学の前に、親がしておきたいこと~
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2019年3月28日木曜日

海が嫌いがダメ?海で楽しめないとダメ?


北海道にも春が来た
春が来たということは夏が来ます
当たり前ですが海シーズンもくるってことです。

保育園では海遊びが日常生活としてありますが、海で生活しているのに砂浜遊びに徹してしまう子など様々です。

保育園の懇談でも海での遊びについての指摘は毎年あります。
海で遊べている子
遊べていない子

それに対して
海にいるのに海で遊べないのはダメだとか
海で遊べないのは遊べてないからダメとか


こういう形で受け止めてしまう場合もありますが(僕が過去そうでした)
実際の意味はそうではなく、楽しみが砂だけではなく、海も楽しいになると楽しめることが二つになる。楽しいが増えることでより遊びが楽しくなり毎日が楽しくなる。




子供を無理やり海に向かわせるのではなく、
生活の習慣として海の絵本を取り入れるとか
そういったことで海に関心を示すようになることは、その家庭の育児に対する否定ではなく、ちょっとした習慣の取入れによって楽しみが増やすことができれば、取り入れる価値はあるってことに繋がるのかな~






2019年3月27日水曜日

遊んでいても、親を呼ぶことが多い

遊び
遊びって想像以上に大事なことのようです。
遊びと軽く思っていましたが、遊びを前提に人は成長していることを考えるとすべてのスタートは遊びになる。
育児も当然として遊びが非常に重要になってきます。

今回はその遊びの中で親を呼ぶパターンについてです。
あくまでも一例ですのでこれがすべてではないことを踏まえてくださいね。

遊び足りなく欲求不満から欲求を満たそうとする方法として、承認欲求を使い満足しようとしている

こんな感じに見える時があります。

親を呼ぶことがダメとか、
遊べていないからダメな子とかではなく、
遊び足りない状況であることを親として認識することが大事なのかなと考えます。


遊び足りないなら一緒に遊ぶのも一つの方法であり、翌日以降の遊び方としてもっと楽しめるような工夫を考えるのも一つの方法なんだろうなとおもったりします。


育児を指摘されると親としての価値観を否定されているような感覚になりますが、決してそんなことはなく、育児の指摘はその子の伸びしろがまだまだあるよってことなんですね。

そう考えると指摘された方が「あなたの子供はもっと成長する可能性があるよ」ってことですね




2019年3月26日火曜日

協調性


保育園、幼稚園、学校生活など
子供たちは集団生活の中へと入っていく。
その中でどれだけの楽しいに出会えるか
どれだけの楽しいを見つけることができるか





集団となると個性や協調性などという話になるが,今回は協調性について書いておきたい。

協調性、または共有感覚は自分以外の人と同じ気持ちになっている的なことのようだ。

親子で楽しいと思ったことが、ほかのことも楽しめることで楽しいが広がる。
楽しいが倍増していく。
これが楽しさの確信になる
これが協調性といわれる他者との共有感覚になっていくようである。


家などで歌い楽しい思いが、保育園で他の子と歌い楽しいを増やすことになり、楽しいを確信し協調性につながる。


我が家のことは協調性が低いとか無いという見方よりも、
楽しい思いをどこに感じているか
そこに目を向けると違うものが見えてくるかもしれない。




2018年10月26日金曜日

乱暴な子と乱暴される子

乱暴

と例えると大げさと取る人もいるかもしれない。
ただやられている人から見ると例えが小さいというかもしれない。

この乱暴の大きさに注目しても平行線な気がする。



例えば園児などが手が出たりする力技に出たとき、注意したりやられた子にやり返せ!と促したり。それは各家庭の色があると思う。

ただ我々大人としては子供たちが自立して社会に出るべく準備をしなければいけない。
社会に出てから○○しなさい。〇〇はダメよとは言ってられない。

子供達には自分で判断できるようになってほしい。
だから叱ってダメなことを常に伝えていく。でもない気がする。

出てきた選択肢の中で子供たちが自分で選択し自分で判断できるようになってほしい。
それがお父さんが言ったから〇を選択した。ではなく自分の考えとして〇を選ぶようになってほしい。そこには誰々が言ったという理由ではなく明確な自分の判断材料があるはずだ。



乱暴した子、された子にはどう接するのか。

広木先生の本でも紹介されているが、「乱暴した子に叱ってダメだと伝えるよりも、自分の内面をそういったことでしか表現できない。今後の課題として一緒に取り組む」ということが書いてあった。

乱暴はもちろんダメ。
その場で叱ったり怒ったりしても結局は見てないところで繰り返すだけである。これが学生間のイジメにも相当すると思う。
日常的な友達同士の関りを通して、どう接するのかを伝えていくのが本来の導き方なのだろうと感じる。





やられた子

やられた子が弱いから悪い訳ではない!!

圧倒的に力の差があることも当然ある。年齢差による力の差も当然ある。
ただ注意したいことがある。

喧嘩は勝敗ではない。

勝ち負けではないからこそ表現することの重要さがある。表現しなければいけないこともある。
そして、知ってほしい。気づいてほしい。

言いたいことは、言っていい。
表現したいことは、表現していい。
泣いてもいい、怒ってもいい

ただ周りの大人に助けを呼ぶ前に自分の一歩だけは
踏み出してほしい

一歩だけでも踏み出すことができれば、これから先は2歩3歩と進むことができる。
それを知ってほしい。

だから、親として僕が注意しないといけないのは、泣いてるからダメではない。
やられてるから弱いでもない。
表現できる権利があることを知らせなければいけないってことだけなんだと感じる。



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