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2016年8月31日水曜日

子供と向き合う前に自分との向き合いが必要なのかも

週末は次男の熱があり看病で終わったような感じです。
抱っこしていないと泣いて寝れなかったりしており、抱っこと布団への寝かしを繰り返し
睡眠不足でしたが。

そんな中、長男の片づけができていないことで指摘するとその態度がふてぶてしく、何度かやり取りするうちに堪忍袋の緒が切れてしまい。強烈に怒りました。

今思えばそこまでやる必要は全くなかったのにと思い反省しております。
その時は冷静に対応できずに、感情を優先して対応してしまった。

冷静に話せばいつか伝わることも感情などをぶつけることで、心のキャッチボールが難しくなると感じました。
キャッチボールは相手が取れる球を投げてあげることで初めて成立するんだなと。
受け取れない球を投げてもそれはただのぶつけ合いになってしまいます。
ぶつけ合いの狙いは相手を倒すことであり、勝ち負けしかない。話し合いに勝ち負けはなくお互いの譲歩によって成立するものと考えています。
そう考えると僕の対応はまずかったんだなとものすごく反省をしているんです。


なぜ、冷静な時は対応できるのにいざ子供と接していると感情だけが優先してしまうのだろうと考えると、自分の器量を知らずに接したことで、そこから出てきた怒りに器が収まり切れなかったんだと感じました。
子供と接する時に、年齢などに応じてこちらの反抗的な態度も年々変わり、それを想定しておかないと態度により腹を立ててしまい後先考えず感情論での言い合いになってしまうと思うます。

小学4年生ともなるとそれなりの反抗的な態度もあり、そこを普段から踏まえておくことが前提であり、あまりにも子供の行動に干渉しすぎそれをコントロールすることができなかったことが自分の2次的感情である怒りに到達したんだと思います。
この2次的感情である怒りに行く前に、一時的感情にもっと向き合ってから対応するような生活にしていかないと今後も子供たちとのやり取りに同じような展開を迎えると思えます。


反省の繰り返しだけでは意味がなく、それを実行するように生活を改め子供たちに接していきたいところです



2016年8月30日火曜日

気持ちを言葉にできなくなる ホットマンから

育児をするときに子供たちの価値観は家庭環境から形成されてきます。
この家庭環境で親が与える影響はやはり大きく、子供たちの行動の基礎になっていくようです。
そこで常々言われるのが子供たちに対する枠を持った考え。
子供を見るときにこの子は○○だから、この子はこういう考えだからと考えてしまうと子供はその枠からはみ出すことが難しくなってきます。
育児をするうえで踏まえておきたいのは勝手な親目線でのレッテルを子供に張らないこと

そのためにまず一歩として子供の感情などは表現の自由があり、そこを抑制することは親としてもできないということです。
よくあるのが泣いている子供に対して感情あらわに怒る親、泣いていても何も変わらないことをメッセージとして伝えるのはよいと思います。泣いてても買わないよとか泣いてても自分でやるんだよみたいに。
問題なのはそれを怒って伝えることで感情を子供にぶつけることが、子供に恐怖を与え子供自身が行っている行為を否定してしまうことです。
やってはいけない感情などないのに、その感情を否定してしまうのは、今後その行為をすることを子供が蓋をしてしまうかの世がある。もしくは蓋をされたことにより何かしらの圧迫を感じてしまうかもしれません。
こういった子供に対する行動の制限を深層心理に植え付けてしまうと本当の気持ちを表現できなかったり、自分自身を知らずに押さえつけて生きていくことになります。

そんな窮屈な生き方は親としてはやってほしくないですね。

今回はしっかりものの長女シホ姉ちゃんが、5歳下の彼氏に対して自分の愛情表現ができずに永遠のお別れになったお話からの抜粋です

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2016年8月29日月曜日

本当の自分とは 漫画ホットマンから

ハマってます。
かなりハマってます。
漫画から教えてもらう事も多いですよね

本当の自分を考えるときは何歳くらいなんでしょう。
僕はものすごく遅かったです。

最近です。自分を見つめたのが

ぎゃああああああああああああああ

遅すぎですね。

こういった悩みは精神年齢とも関係があると思います。
実際に答えの出ることのないことを考える
この考え悩むことが大事なんだと感じます。

今回は本当の自分を探し求める主人公の弟ハイジを中心に話は進みます

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いつか子供たちに質問されたらこんなことを言える親父になりたいものです



2016年8月28日日曜日

子供に理解がある・・・ 漫画ホットマンから

ものすごく今回は胸に刺さりました。
知ったかぶりが得意中の得意である僕の胸にはズブリと深く刺さりました。
強烈に刺さりました。

子供を理解しているつもりだった。

理解できないことを見ても理解するためにと受け入れていたつもりだった。

わかったと言葉で言っていたが、なぜかはわかっていなかった。

わからないことが怖くてわかったふりをしていたと感じる。

理解できないと親になれないのかと感じ知ったかぶりをしていたんだと思う

子供の行動を無理に理解する必要はないんですね。人間を理解しようというのは悟りの境地
一介のサラリーマンである僕のなせる業ではない。
理解しようとしたのは理解しなければいけないと思い込んでいたと思います
そんな気持ちにさせてくれる場面の紹介です

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ホットマン本当に素晴らしいマンガだと改めて3児の父親になり気づかされた




2016年8月27日土曜日

漫画ホットマンから 泣いたカラスがもう笑った

笑う門には福来るとはよく言ったものだと常々思います。
子供たちは小さなことやなんでもないことでゲラゲラと笑い
そこには本当に福が来ているんだなと感じさせてくれます。

体も小さく力も弱く、知識もまだまだおぼつかない子供たちは日々笑って過ごすことで福を呼ぶことが唯一の生きる手段なのかなと感じさせてくれます。

今回は主人公の娘であるナナミが泣いたことに対する主人公であり父親のエンゾウの対応です

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色々と考えてしまうセリフですね。
大人になることで体裁をとる。時として必要なこともあるかもしれませんが、大概は必要のないことなのでしょう。それにより自分の行動を制限してしまっているということの方が一番の問題なのかもしれません。

体裁を気にしないでいるのに、周りの環境から体裁を気にしないといけなくなる、体裁を気にするのが当たり前の風潮と感じさせてしまっている家庭環境を改めて見つめなおさないといけないんだなと感じる今日この頃です。




2016年8月26日金曜日

育児漫画ホットマンを読んで 風景とセリフが合わさり引き込まれた

最近、夜の楽しみができた
マンガBANGというiphoneの漫画を読むアプリ
この中にきたがわ翔氏の漫画ホットマンが掲載されている
学生時代に読んでいて面白くてコミックを全巻集めていた。年齢とともに必要がないと感じ古本屋で処分してしまい手元にはない。
久々に10数年ぶりに読んでみたら、ものすごく感動する漫画だった。涙してしまうんですよ
父親目線で読むことで学生時代とは違う目線になり、この父親目線が非常に共感できるんです。

ストーリーは主人公がものすごい健康オタクで話が進みながらも健康食に関する知識をえれると同時に家族としての温かみを知ることのできる漫画です。
父一人娘一人の家族関係ですが、父親の兄弟がたくさんいて一つ屋根の下で暮らしています。
この人間模様が様々であり引き込まれるのです。

こんな一言すんなりと言えるようになりたいな
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暖かいですよね。なんか。
この風景とセリフが合わさりグッとくる。




世界一の父親を目指すよ。



2016年8月19日金曜日

わかりやすい育児書。子供の心の基礎づくりを読んだ

保育園においてあり読み終えたのでまとめとして





育児を行う上で安心感が土台となるようで、この安心感は子供が私を支持してくれていると思えることから発生する。


そしてこれがさらに挑戦する力となる。
こういった挑戦が体験となり、この中で自信を養うこととなる




甘やかし
子供に安心感ではなく逆に不安感を作るだけであり、大人は甘やかしではなく子供と大人の線引きというしっかりとしたルールを認識させてあげることが大事。
つまり大人の役目は子供たちの歯止めをするということ




体験をすることは感動を味わうことにつながり、日々の生活でもこの感動が大事であり、生活を楽しむという部分でも重要なところ





体験をしていく中などで『なんだろう!?』ということが大事で、

これが好奇心を作る

好奇心はものが多すぎたり指示が多いと分散してしまうことからも物は少なめにしておくことが重要。

この好奇心の後にやってくるのが納得、満足感、達成感である


達成することでさらに何度もやりたくなる、この繰り返したいという気持ちは大事にするところ、この繰り返しが出ているときに他に注意を抜けさせようとしたり、エサで釣って辞めさせたりするようなことはしてはいけない。




自分でやりたいという思いが強く、できるだけ子供の意志を尊重し子供自身が自分のことに関しての決定であれば受け入れてあげる。

ただ注意しないといけないところが、成長したいという意欲は、
大人ではないことからの不自由さからくるものなので、なんでも子供でOKというわけではない。



この辺のしっかりとした線引きが重要であり、例えばお金の管理はお年玉をもらったからと言って使い方をすべて自由というものではなく、お金がしっかりと自分で管理できる年齢までは親が管理すべきものである。
(20歳までは手を付けてはいけない貯金とか)




日常の生活の中心として
生活リズムは大人がつくるものである


一日の中には起床、三度の食事、就寝がありこれらは定点として動かない決まったものである。

これらのリズムをしっかりと踏まえて一日の計画をしていきたい


大人が注意するところとして
三毒がある。
言語主義、口出しはダメ、言葉よりも体験を重視


賞罰主義、ここは間違われやすいところであり、何に対しての賞であるかが大事。動機づけとして褒美を与えるのはダメ。結果に対してであればよいとしておきたい、がんばればお祝いではなく、がんばったからお祝いである。


競争主義、これをはき違えると運動会もだめなのかと思うがそうではない、子供自身の競争意識はとても大事だが大人が介入してくると毒になる。
○○君が1位だったんだから、あなたも負けちゃダメだよみたいな煽り方はよくないということだ。あくまでも動機づけとなる動き出すエネルギーは子供自身の内側から発生することを前提に接していきたいという感じなんだと感じた。






2016年8月17日水曜日

親と子のアドラー心理学を読んだ 

アドラー心理学は面白いです
読む価値はありですよ

色々と呼んでいると同じような内容がでており、基本的に重要なところなんだなと感じます。
今回は僕の感想を。




人間関係として厳しく接する親と甘やかす親族(じーちゃん、ばーちゃん)がいて、大概は甘やかす爺婆たちを大変迷惑なものだと感じたりもします。


しかし子供たちは甘やかすほうだけに寄り添うのではなく両方から学び取るようです。
その学び取る内容は自分たちの価値観によるもののようですね。


この価値観というところがミソだと思います。



価値観の形成として親が常々日常生活などで伝えていくこと、お金が大事だとか友達が大事だとかそういったことと思います。


その言葉通りに伝わるわけではないと思いますが、言われてきたことを生活を通して自分なりに受け取っていくのでしょうね。


アドラーでは親子であっても縦関係ではなく横のつながりと言っているように感じます。


子供でも尊敬という気持ちをもって接することを重要視しているようで、僕はこの子供に対してどこに尊敬をするのだろう?と甚だ疑問を感じておりました。

かわいいとか愛らしいという気持ちはあっても何を尊敬するのだろうと・・・

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どうやら子供に対しての尊敬という概念よりも一つの生命に対しうる命への尊い気持ちを大事にするという感覚に感じます。


この命に対して尊いという気持ちから命は大事に扱うものであり、かつ命の重さに年齢や人生経験は関係ないということなんでしょう。

そういったことからの横の関係


この対等という関係から親子であっても友人に対して使わないような言葉や態度を子供だからと言って使うのはおかしいということ。

命を軽く見積もっているということでしょうね。


中々子供たちに対して一つの命という感覚で改めてみることはないですが、そういった感性で対応していくことが今後大事なのかもしれません。


この感性という部分が子供に対しても大事であり、気持ちの持ち方で接し方も変わってくるということです。




子供に関心を示しすぎるのも問題ですが、子供に関心を持てないと子供のやることに迷惑を感じるようにもなるようです。




そうなると子供の遊び声などでも怒りを覚えて怒鳴ってしまう。
この怒りはあくまでも感情であり、相手にぶつけるものではないということも非常に大事です。


怒り事態は二次感情であり、その前の段階の一時感情である心配、落胆、不安をまずは伝えることが重要とのことでした。




この落胆や心配という行動は子供の不適切な行動から出てきますが、この行動の結果に注目するのではなく、あくまでも行動の前後に注目をする必要があるということ。


問題の行動を解決するには原因を追究しても意味がないんです。



原因はなぜやったかということですが、同じような原因があっても人によっては対応が違う(アホと言われても気にしない子もいるが、怒る子もいる)ために価値観を押し付けることになってしまいます。



大事なのはその行動の目的であり、
叩いた子なら叩くことで
相手を泣かしたかったのか⁉

相手に同じ痛みを感じてほしかったのか
などの目的を聞くことから始まるということ。

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子供たちは、ほっといても勝手に伸び伸びと育っていきます。


この伸び伸びと育つ時期に押さえつけて育てると多動性や注意欠陥、衝動性になるといわれています。



これはなんだか実感あります、妙に納得できる内容でした。



子供達には社会に出ていくために自立に向けての成長をしているところです。



そのため自己肯定感をしっかりと育てていきたいと思いますが、この自己肯定感を育てるのは自分は役に立つことがある、ここは自分のステージだという気持ちでやれることが大事なようです。



それを養う上ではお手伝いというのはとても効果的とのこと。


ただお手伝いなんてどこの家庭でもやってるといわれるところですが、重要なのはお手伝いの決め方。


当たり前ですが話し合いで決めること。そして子供にも拒否権があるということです。

この拒否権は子供との関係で対等という観点からも納得できるところであり、大概の家庭では拒否権なんて存在しないようにも勝手に思ってしまいます。



毎日子供たちが楽しく生きていきたくましく育つことを願うだけですが、存分に育つことを支援するには子供が何に注目しているか。



その夢中になっていることを支援することも子供との時間を共感する大事なひと時かもしれません。


ゲームがダメだ、テレビはダメだとか色々とありますが、もし夢中になっていることがゲームなのであればひと時だけでも一緒に夢中になってあげるのも、子供の成長には非常に大事なことかもしれないなと感じました。






2016年8月10日水曜日

子供目線を考える

最近、長男長女の意欲低下が目立つ気がする
すごく心配だ。
やることなすことに自信がなく先に踏み込めない様子。

そこで新ためて子供の意欲を考えた。

子供の意欲という前進する力に対して、自分の行動が間違っていないという確信がしっかりと持てれば行動が変わってくると思う
自信が持てないとその行動に不安がついてくるので一歩踏み込みが遅れたり踏み込むことができない。

その結果、日常の習慣からははみ出せずにいる。
例えば、片づけができないのは習慣化されていないからであり、片づけしないことが日常の習慣になっている。

この片づけを日常の習慣にするためにアレコレと言ったりさせたりということが一般的だが、これは逆効果になると思う。
なぜなら、先ほども述べたが日常ではないものを日常にするためには、最初に日常からはみ出さないといけない。片づけを習慣にするためには、片づけていない日常からはみ出して挑戦しないといけない。これが習慣化してくことが日常となる。

日常から踏み出す意欲がなければ、これらを習慣化するのは無理ということだろう

片づけなどを習慣化させるには、まずは口出し手出しではなく、そこに踏み込むための意欲をつけることを最重要課題としたほうが近道と最近思えてきた。


ではこの意欲をどう養うか⁉
ここが問題だが意欲は自信などから培われるということを仮定として考えると、結果を出して自信へと変わることになる。

ここで疑問ができる。
結果を出せなければ意欲がでないことになり、スポーツで言えば結果を出すために努力するというが、努力をするために必要なものは、それこそ意欲である。

結果とは何か!
結果をすべて功績と考えると無理が生じる、だから行動の結果として考えるのが一番だろう。
行動すべてを結果として考え、その行動に対して肯定的に受け止めることが、結果を出したという形で考えたい。
野球でヒット打ったも結果であれば、元気に学校に行ったも結果であり、カレーライスが好きだも結果として考えたい。

何を言いたいかというと、結果を出して自信ということは結果を肯定的に受け止められたことで自信につながるということ。つまり行動の結果を肯定的に受け止めることで自信につながるということと思っている。


そこで、注目してもらいたいのが、片づけしていないとか宿題やってない、時間通り帰ってこない、言いつけを忘れるなどの親として怒りたくなる行動について

子供目線に注目
片づけしないで何をやっていたか。宿題しないでなにをやっていたか、時間通り帰ってこないで何をやっていたか。
この何をやっていたかを肯定的に受け止めることで一つの自信を養うことができると思う

片づけしないでゲームをしていた
・そんなに面白いゲームなの?教えてほしいな

宿題しないで遊びに行った
・宿題忘れるくらい楽しみにしていたことがあったんだね、何して遊んだか教えてよ

時間通り帰ってこない
・ずいぶん夢中で遊んでいたんだね。その集中力があることは大事だよ

きれいごとを並べたようにも思われるところかもしれないが、子供たちの行動を見ていると常々受け入れるか受け入れないかで随分と変わっているのを実感する。

子供たちも課題をやらないことで約束を守らないことで叱られるのはわかっている。
わかっているけどやってしまう。そこには様々な問題が影を潜めていると思う。
やろうと思うけど取り掛かれない。これも立派な理由だと感じた。
これを頭ごなしに叱るよりも深いところにある意欲の問題として受け止めることが大事なんだと最近夏休みの宿題の進展具合を見ながら感じる。





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