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2019年5月30日木曜日

Qrio Lock(キュリオロック)の落下防止をしたよ

スマートロックが超便利


これ超便利
ドアの工事が不要でスマホ一つで鍵の開け閉めができます。
しかも合鍵や一時的に利用可能な鍵を発行することもできるので、鍵の紛失の心配なし。
さらに、鍵の開け閉めがスマホから履歴でわかるので本当に管理が楽です。

ただちょっと難点が、一か月利用してみると暑さのせいなのかドアからキュリオロックが落ちます。
両面テープのみの接着なので不安でしたが不安的中。

ドアを清掃して張りなおしてもダメ。

位置を変えて貼りなおしてもダメ

もうお手上げかとその時、ある方法を思いついたのです。

それがこれ
穴をあけただけではありませんよ

わかりますか?
L字の金具を取り付けました。

ドアは鉄板なのでネジだとダメなんです。
そこでリベッターを使います
ロブテックス(エビ) ハンドリベッター(横型) HR002A
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これが超イケます!

ネジで固定できない鉄板に対して、固定できるのです。

これで一気に問題解決。
上下固定すれば、落ちる心配無用です。

何もしてないとこのドアとキュリオの隙間が徐々に空いてきます。
そんな時にロックを解除させたりすると、
ポテッって感じで落ちる

でももう大丈夫と思います



2019年5月21日火曜日

色眼鏡


人との付き合いの中で
他人を勝手に決めつけてしまうと、話をしていても「結局この人は…」みたいな態度で聞いてしまう。


これってものすごく無駄だ。
人を勝手に判断してしまうのは、礼儀礼節としても問題あるが、話した内容が事実であろうが、何であろうが、色眼鏡で見てしまった人には聞こえない


逆に色眼鏡が良い方向に動くときもある
尊敬している、崇拝している人の話なら何を言っても聞く。
宗教に似ている。



人を決めつけてしまうのは、
ある意味自分の中の弱さなのだろう。


この人のことは聞かないと決めつけて心を閉ざしたり、
この人のことだけ聞いていれば間違いがないとか。



責任を他人のゆだねることで自分を守ったり、
自己肯定を下げない様に聞き入れない様にしているのかもしれない。

自分でもこういったことは常々あり、自分から見たクレーマーな人からは何を言っても聞くつもりもなく、尊敬している人がやれば、黒も白にしてしまうような気持になる。


しかし、後から為になる話と思って聞くと、実はクレーマーな人が言っていたことであったり、そこは許せないなと思ったことが、実は尊敬している人の行動であったりする。



この色眼鏡は本当に気を付けたいと思った。




2019年5月17日金曜日

子どもの悪さ、親の謝罪。ここから生まれる問題点


子供たちの成長は本当にあっという間
ついこの前に押し目を変えていたと思ったら、
中学生に

驚くばかりだ。

それだけ自分も年を重ねていることなのだが、人生あっという間というのは本当ですね。


子どもが成長していく過程に様々なことがあります。




それは子供だけではなく、
周りにいる大人たちも同様

どちらかと言うとこの大人たちの方がプライドや見栄、損得などが絡み、話をややこしくしているところが大きい気もします。

小さい子供と言ってもやられる側の親と、やる側の親の気持ちの持ちようは様々。

悪いことをしたら叱るのは当然。

そして、その悪いことをした親の謝罪
ここが今日の課題だ。

悪いことをして親がその責任として謝罪するのは当たり前。

では、プールで遊び、AにBが水掛けた。
Aが泣いた。
それを見ていた大人がBを叱った。

ここまでは何も違和感がない。

大人がBの親に謝罪を求めた。

ここだ。

悪いことをして叱るのは当然だが、その悪いことをどこまでのレベルとして受け取るのか
子ども同士のじゃれあいとしては受け取れず、親にも謝罪を求めることなのか。


ただじゃれあいとしても、やりすぎはある
その際に大人が叱るのは当然であり、全てを無視しろとは言わない。
問題はその結果を大きくしてしまうこと。

悪いことをしたのだから罪の意識は当然
これは同意する。

しかし、子供の成長を考える大人として、Aにも、そしてBにも成長を求める。
罪の意識の植え付けとかは別として、
もし、怒り方として子ども自身を委縮させるような結果になるのなら、その大人の行動は改めて考えねばならない。


そこまで大きな事件にするつもりがないが
謝罪はしてほしい

しかし謝罪を求めるくらいの考えなのである。
つまり、起こった事を大きくしている。

子どもを委縮してでもコントロールしたいことになってしまう。


改めて考えてほしい
子どもたちを、お互いの子供たちの成長を願い、係わってきているのに、
その成長を阻害するような対応はいかがなものだろうか。

謝罪を求めるような罪なのだろうか

そんなに悪いことをしたのなら謝罪も必要だ。

しかし、、1歳の小さな子同士のじゃれあいから、片方が泣いたとしても
大人に謝罪を求め、子供には犯罪的な行為だからと戒めるのだろうか

子どもには叩いたら痛いんだよ!って感じではないだろうか?
痛いんだよっていう事柄を事件性として謝罪を求める行為は、何故なのだろうか


一番の問題点
謝罪を求められた親は当然子供を叱る。
再び同じことが起きたら、再び謝罪を求められるからだ。
それは、何を引き起こすだろうか⁉

子供の成長の過程で
1歳では難しく2歳から理解できる内容としたら、
謝罪を求められた親は次の行動をとる。

1歳の我が子に同じことをさせない様にコントロールする。

理解できるのが成長過程としてまだ先であっても、謝罪を求められるなら子供をコントロールしなければいけない。
つまり子供の自由にはさせられない。
例え理解していない子でも。


謝罪を求めるのなら・・・
そこまですることなのか!?を考えねばならない

これは親としても子供としても成長を阻害することになる。



お互いが大人としても子供としても学びの場であり、成長を委縮させるような展開に持って行ってしまうのは非常にもったいない。


でもこういったことはお互いの勘違いから生まれる。
実際にじっくりお互いが話、お互いの歩み寄りにより理解しあえる。
つまり、謝罪が悪いとか謝罪しないのが悪いではなく

お互いの価値観の違いを理解することが大事って感じがする

2019年5月16日木曜日

叩く子、手が出てしまう子はどう対処する?



子どもの行動に白か黒かと区別するようなことは未就学児童には早い気もします。
ダメだからダメも必要ですが、失敗から人間関係を肌で感じ、叩いてばかりいると友達も離れたりしていくように、大人がいちいち介入していると肌で感じる前に行動の制限をしてしまう恐れのほうが怖く感じます。




小さいうちに行動を制限され、その影響から良い子を演じるようになってしまう方が怖い。

小さいうちは手が出てしまう子がよくいたり、それが叩かないで話そうねと伝え続けることで成長とともになくなっていくというのはよく聞きます。



この叩いてしまうのは
言葉として伝えることが難しく、手が出てしまうなどがあるようです。
何をしたから明日からそれをやらなくなるってことは考えたくないですが、対応策の一つとして、話し合いによって解決できるってことを感じさせるのも大事かもしれません。


これは友達同士で体感するには難しところもあるので、親と子の中でやるのが一番なのかとおもってます。




子供を叱るとき、理由も話させず、欲望を聞きもせずに、ただダメだ!ダメだ!と怒ってばかりいると、話し合いのコツを感じずらくなるのかもしれない。




そのため、何かの注意をするときはむしろ話し合いという手段を少しでも理解させるチャンスなのかもしれない。





2019年5月9日木曜日

楽しむために、より楽しむために



子供たちが意欲的に!をモットーを考えていますが、
意欲を伸ばす一つの手段として前回の記事でお伝えした
どれだけ楽しめたか
どれだけ満足できたか
この辺が重要と感じております。


そこでどうやって楽しませるか
「より楽しむためには」今日のキーワード

笑わせるギャグをやる
くすぐる→これは間違い(気持ちがなくても身体的に強制的に笑わせるから)
イベントをやる
想像させる

これらは楽しいと思う結果的なことであり、今日のキーワードはこれらに対して楽しむには。
ここがポイントです

与えられた環境、偶然出会った環境をより楽しむために。

例えば小さな発見でもそれを楽しむことはできる。それがその子の好みによるかもしれない考えがちだが、実際は好みの問題ではないようです。

それは子供の感性の問題。

楽しめないのは感性がないのか⁉
そうではなく、子供たちはみんな感性をもっている。
この感性を日常的に研ぎ澄ましておく必要性を非常に感じました。


感性を研ぎ澄ますことで、触れたこと感じたことに反応しやすくなる。
反応しやすくなることで、小さなことも大きく感じ、感受性がさらに育っていくように感じます。

つまり、小さなことでも楽しめるように日々感性の研ぎ澄ましが大事なのかなと艦居たりしていたところです。


ゲームなどが悪いとは言いませんが、感性を研ぎ澄ます時期にここにハマってしまうと、相当なことがない限り感受性に反応を見ることができません。

日常的に感性を研ぎ澄ます生活を意識するだけで、出会うことからの受け取る恩恵は非常に大きく感じます。





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2019年5月8日水曜日

親同士の交流

People, Male, Woman, Outdoors, Wedding Party, Marriage
人が集まればいろいろな趣味嗜好がある
それを子供のためと言って人の趣味に合わせる必要もない。

だから、やりたくないこともやらなくていい。

どこまでが???

釣りに誘われ釣りは嫌いなのに無理に釣りに行くのは、
やりたくないなら無理に行く必要性は感じないが、
もし子供がやってみたいとか、好きだからやりたいとなるなら、子供が自分だけでいけないのなら協力することも有りかなと思う。

当然、必須ではない。

ただ考えてほしいのが、いろいろな環境に行くことで様々な思考が生まれる。
これは大人も子供も同じ。

そういう意味では親としては面倒だと思うが、そういった場に参加するのも一つの育児でもあるかもしれない。
もちろん参加しないのも有りだ。

何もしないと何もないが、何かすれば何かが起こる
これをワクワクをもって試してみたいと思う今日この頃




2019年5月7日火曜日

無認可から認可保育園になった。何か変わった?


次男が通っている保育園が認可になった。
認可になると何故か様々な噂が飛んでくる

実際には認可と認可外は市などからの認可があるかどうかだけで、それほど違いはない。
認可無認可違い


そこを噂が噂を呼び、認可になると今までの保育と変わるとか
誰でも入れるから変わってしまうなどの声を耳にする


実際のところどうなの!?
実は基本変わってない。


なぜなら保育園を選ぶ権利があるのは親である
親は数ある保育園の中から選択して、決める。
つまり自分で選ぶ

選ぶ権利があり、保育園の方針に従って預けて支払う義務が生じる。

選ぶということはそういうことであり、選んでから知らんぷりはできない。

保育園側は受け入れを選別する権利はないが、自分たちの保育を掲げる権利がある。
その代わり掲げた保育理念に沿って保育をする義務を生じる。

この親と保育園のお互いの権利と義務によって保育の育児は成り立っている。


親がたくさん集まれば十人十色となるが、基本的に親一人一人は自分たちで選んで入園している以上は、何かしらの共通点をもって入園している。




だから、無認可保育園時代から認可保育園になった今でも基本的なところは変わっていないはず。

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2019年5月6日月曜日

仲間意識は無いとダメ?




まず最初に理解しておきたいのが、
集団意識や仲間意識は、
ないとダメってことではない。

そういう考えでの話ではなく、別な角度での話として聞いてほしい。


子供個人が本来持っているもの、持っていないものがあったとして、
持ってるから凄いとか持ってないからそれが欠点だ!という話でもない。

○○を感じやすく
○○を意識しやすいように
○○を養う、培うために

こういったことが基本背景として読んでほしい、聞いてほしい。


集団意識や仲間意識はもともと在るとか子供によって意識が薄いとかあるかもしれないが、少しでも仲間意識を感じやすいように、小さな仲間意識をもっと養うように、仲間意識の薄い子には仲間意識を感じてもらえるようにと

保育園側が保育をする





仲間意識などを課題
として保育しそれが実際に効果としてどういった形で現れるか、


園側の取り組みに対して仲間意識が思った以上に成長しない、効果が見えてこない。
となった場合


Meeting, Business, Brainstorming, Brainstorm
職務として
取り組んでいる「仲間意識の芽生えや成長」に対して反省と対策をする。

もっと○○してみようか
少し○○を取り入れてみようか
○○が負担なら無くしてみようか
こういったことを日々の課題を通して行っていく、

そして取り組んだ仲間意識の芽生えなどを日々の保育を通して確認していく




ただし
課題に取り組む前提にあるのが、
親の協力


各家庭が同じ課題として向き合い方向を同じにすることで、課題に対しての対策が生きてくる。


反省と対策をするうえで、家庭の協力がなければ、保育園側として取り組んでいることがすべて無駄になる。




ここが様々な考えがあるところ。
各家庭の方針があるから保育園から言われるなんて関係ない‼

しかし、
保育園側が共同保育を掲げており、
お互いに共通の課題に取り組むことを前提としているならば、各家庭の育児として取り組むべきところと考えたいかな。




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