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2018年6月29日金曜日

子供の行動からわかるもの

我が家には三人の子供がいます
この子供たちはそれぞれの動きをしており様々です。
行動から性格とかにじみ出ているといわれるところですが、どうやら子供の行動からわかるものはそれだけではないようです。

虫取りが好き
工作が好き
歌が好き
リズムが好き

走るのが得意
木登りが得意
相撲が得意

様々なことが一人一人の子供にあります。
このそれぞれの場面から子供の行動を見ると好きのものと嫌いなもの
苦手なこと得意なことで行動が変わるのは当たり前のように思えますが、
どうやら子供の行動は

自分をどう評価しているか
(自己評価)
これがわかるようです。

自分自身の得意なものであれば、自分を高く評価し意欲的な行動へと繋がることになりますが、自分には無理と思っているものに関しては尻込みしてしまう行動になるようです。

ここで注意したいこと!!!!




上記に書いた通り「自分には無理と思っているもの・・・
この無理と思っている

自分の器を自分で決めてしまっている
子供自身は人生経験も浅く世の中に対する認識も甘いことから、何事に対しても根拠のない自信を持っています。やったことないことを「俺にはできる!私はできるもーーん!」みたいな感じです。
よく車の運転はおれ上手いぞ!とかそんな会話をたまに聞きますが、それこそ根拠なき自信の現れなんだなぁとおもったりもします。

この根拠なき自信が子供たちの意欲になり活動的になってくるようです。
それが自分には無理と思い尻込みしてしまうのは、日常的な生活から自分には無理ということを感じていることが多々あるということに繋がるようです。





2018年6月24日日曜日

環境について

親として環境の事はよく考える
子供の環境をどうするか
何を与えるか
何を見せるか
何を聞かせるか

しかし難しいのは自分の家庭だけの問題ではなく、家の外に出たとたんに社会があり、そこの環境は親の範囲を超えてくる。

重要なのは

与えられた環境の変化に対して、いかにして楽しむか、知恵を絞り自分の好きに当てはめらか

これが日常的に子供たちが生活する環境に対しての重要なところだと思う
好きなことだけを取り組むのではない
嫌いだからやらないでもない。

楽しさは与えられるものではなく、見出すものだと感じてもらいたい



2018年6月23日土曜日

話をして問題解決できると気づかせる

子供が泣くのは日常的に当たり前のことですが
問題はそこに対しての親である僕の対応

泣くことが悪いわけでもなく、泣いたら弱いとかではなく
まずはしっかりと話をすることが大切のようだ




子供の意見もちゃんと聴き、こちらの意見もちゃんと述べる。
そうすることで、聴く力話す力が養われ、話をすることで問題を解決するという手段を学ぶことができます。

泣き喚くという手段では解決できないということを、教えてあげなければならないのです。

2018年6月22日金曜日

オンリーワン 

子供を励ましたり愛する行為はとても重要と思う
しかし、気を付けたいことがある。

現実とかけ離れた励ましは子供にとって悪影響でしかないってこと

例えば、足の遅い子が学校でノロマと馬鹿にされた。
家に帰り親に言うと親は「お前は決してのろくはない、本当はとても足が速いんだよ、今は成長が間に合ってないだけだよ』なんてことを言って励まそうとするのは間違いと思う。




事実として足が遅いのにそれを遅くないというのは現実に目を背けさせているだけであり、家の中でしか通用しない話である。外に行けば結局現実的な足の遅さは周りから指摘されるだけなので、家と外のギャップから外にいても何も満足感はなく、家に引きこもってしまう。

つまり、家では子供にあなたは特別と伝え、社会に出ても子供自身が通用しないことを感じたら家にひきこもるしかないってことになります。




2018年6月21日木曜日

動作のスピード

子供でも中々動き出さないときがある
むしろ子供だから動かないときが多いのかも
帰るといっても準備もしない
片付けようといっても何もしない

何もしない間は子供自身が主導権を握っている場合が多く、そのため状況を変えないためにあえて何もしない(支度しない、片付けない)という状況になるようだ。

出発するよ!と言っても何も準備する様子がない子供には、親が先に行くくらいの行動を見せるのがいいのかもしれない。主導権が子供ではなくその場合は親にあることを理解してもらうために。

片付けないならサクサクとゴミ袋に入れていくのがいいのかもしれない。
子供自身が片付けないものは捨てられるものと認識してくるから。

子供の行動を変えようとするなら、認識に仕方を意識するのがよい
何もしないことで親は待っていてくれるし、この状況を維持できる、さらには自分が主導権を握っているという状況になれる。
しかし親が待ってくれない、状況を維持できない、主導権は自分に無かったと理解すれば行動も変わってくる。と感じることが多々ある



2018年6月14日木曜日

遊び場

子供たちの遊び場を提供するのが夢です

児童会館のように、自由に絵本を読んだり、ボール遊びしたり
そこにゲームなども完備して自由な遊び場を提供できたらと考えています。

出来ることなら食事の提供もしたく、
泊まれるようにもしたい。

遊びは大人が係りすぎて、遊びは意図した方向に進んでしまうと遊びではなくなってしまうのでそれは避けたいなと考えています。


問題は自分たちの生活費をそういったことからどうやって維持していくか
当然それ以外の仕事を持っていればいいのですが、食事や寝床の提供とか様々なことを考えていると、できるならその業務(遊び場提供と食事提供など)に特化して生活費を賄えればいいんですけどね






2018年6月13日水曜日

依存と信頼関係

依存は信頼関係があってこそらしい。
でもこの依存という単語には人によって受け取り方が違う

甘えの様子を依存と表現することもある。

信頼関係があるから甘える

甘える→頼る

この頼ることである甘えるのバランスが難しく感じる
甘えて何もできない何でもやってもらうという意味でも使われてしまうが
本来の信頼ゆえの甘えはちょっと違ってくる

本当に困ったときには最後は助けてもらえるが本来の意味であり、
この本当に困ったという状況を親としては見極める必要性が出てくる。




子供でも難しく親の手を借りないとできないことで初めて頼りにされることになるはずだ。

それが子供でもできるけど、親に頼ってきたときに手を貸してしまうことで
本当の意味での信頼関係が崩れる。

子供には無理だからという意味合いで手助けするために、手出しをすることで子供と親の信頼関係は変わってしまうのだ。

甘えが悪いわけではない。

甘えによって何もできない自分というイメージ
を持たせてしまうのがいけないということのようだ。





2018年6月12日火曜日

ゲーム、テレビもダメについて

小学生になってくると
ゲームを禁止したり
一定時間の制限でテレビを見るとかの話

テレビの存在がダメではなく、使い方にこだわることが大事。
見すぎは目の疲れ、電気代などの問題から使用するにあたり明確なルールがある。

そのルールの中で自由を感じることが大事

例えばテレビ1時間の料金を5円などにして、見るも自由見ないも自由という子供が主導でコントロールできるという感覚が大事な気がする。

このコントロールを親の意思が入ってくると話は違う方向になってくるような気がします







2018年6月9日土曜日

家事と夫

家事をしない夫という記事を見つけた

シングルで働いて家事をしているよりも、夫婦でいるが夫は家事をしないほうが大変と書いてあった。

イクメンという言葉が流行りつつも、家事をしない育児をしないというのはなくならない話。

何故、夫は家事をしないのか。




夫の立場で意見を言わせてもらうと

家事をしないではなく、やりなれていないことをする勇気がない。

独身時代に日常的に家事をしていれば、結婚後の家事への協力はそれほど苦ではないと思う。
しかし、家事をしたことない、もしくは家事をやりなれていない男性であれば家事という道への世界への参入は難しい。

さらにたまに手伝った家事などがダメだしされると
これはかなり凹む

やりなれていないものを勇気を出してやってみたものの 
励ましどころからダメ出しであれば、簡単な思考で生きている男としては、家事は自分には向いてない職業だと結論付けてしまう。
否定されたことへの対処法として、自己肯定感を守るために家事をしないという選択になる。


夫の家事参加には、べた褒めが一番効果的と夫として思った今日この頃



2018年6月4日月曜日

約束したけど・・・

長男が時間外のオヤツを食べてしまい時があります。
僕は気持ちの切り替えで楽しいこと(おやつを食べる)を選択していると考え、気持ちの切り替えをできるだけ違う方向に向けたいと考えキャッチボールの誘いに乗ったり色々と対応をしていました。

そして先日学校に行く前にオヤツは食べないでねと約束をしたのですが、長女が学校行く前に食べてたよと報告し、再度息子に約束の時間に食べる意味を伝えもう一度約束をしました。
僕はその後、保育園に次男を迎えに行って帰ってくると今度は夕食前にこっそりとパンを食べていたのです。

これには衝撃でした。
本当にショックだった。

優しく諭す意味で伝えたつもりだったのですが、息子の行動は全く別だった。

これにはいろいろと深く考えさせられた。

優しくてもダメなのか
怒るくらいじゃないとダメなのか
ゲンコツが必要なのか

本当に色々と考えました。

それだけショックだったから・・・

約束の伝え方や約束を破ったことの対応を考えるよりも、僕自身が長男をまだまだ幼く扱っていたのではないかと感じています。
6年生となれば中学生になる手前、学校も自分で行き習い事も自分で通える年齢です。電車にも一人で乗ることができます。
そんな長男に対して僕はまだまだ幼稚な対応をしていたのではないかと感じました。

その幼い子供への対応ゆえに約束に対しての重みを意識しなかったり、約束ということ自体を認識していなかったようにも思えます。


これについては今後の対応で変わるかどうか時間がかかりますが、今後の約束事とは別に一人の人間として、年齢にあった対応を心がけようと誓いました。





2018年6月1日金曜日

妻と話した昔ばなし

先日、妻と話をしていた時に長男の保育園時代の話になりました。

僕は育児には積極的に参加し保育園の懇談なども前向きに参加していました。

ところが、妻との話の中で、息子の保育園時代の様子が全く自分の目には映ってなかったことがわかりました。
保育園時代では仲間との係わりが弱く打たれ弱い長男でした。それを年長時代に色々と保育士から言われ、僕自身では取り組んでいたつもりでしたが、僕の目に映っている息子の姿がは保育士から伝わっている様子とは別に写っていたことがハッキリと分かりました。

本当に気付いてなった。

様々なことを言われそれを踏まえて対応していたつもりだったのですが、僕の目に映っている息子の姿と保育士が伝える息子の姿にズレがあり、僕自身このズレに気づいていなかったことが最大の要因の思えます。

僕も深く保育園から言われたことを掘り下げて考えたのは実際に息子が小学校に入ってからでして、保育園時代と小学校での子供の様子の違いを感じ、何故だろうと思ったことがきっかけでした。

その時でさえも保育士からの息子の様子と自分の目線で見ている息子の様子のズレに全く気がついていませんでした。
それが先日に妻と長男の保育園時代の話をしているときに改めて知ったようなことばかり。
全く僕は息子を見ていなかったんだと感じています。本当に反省しました。



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