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2015年10月27日火曜日

園児の親父の交流会

先日土曜日に保育園に通っている子供たちの親父による交流会
親父会があった。

一言でよかったよ。
とても良かった。

普段話をする機会がない人同士もそういう場面で交流する機会があり、お互いに意外な一面を見たりととても楽しかった。

なんだか毒出ししたような気分だね。

毒があったわけではないけど、男同士の語りっていいよね。

酒に飲まれないようにと思い会計もがんばってやってましたが、無理でしたよ。ガッツリ飲まれてましたよ!
お酒にね!

会費は前払いがわかりやすいね。それを怠ったもんだから何が何やらわからない感じになってた

ヽ(´∀`)ノ

これからもこういった交流がたまにあればいいなと思う今日この頃






2015年10月22日木曜日

育児に使える本の紹介 反省させると犯罪者になる

読み終えました
反省させると犯罪者になります

反省させると犯罪者になります (新潮新書)


著者 岡本茂樹

一言でいうならばよかった。厚さも程よく読みやすい。
犯罪者というより加害者の行動の心理を書いている本
なぜそういった行動を起こしてしまったのか。
一度、刑に服しておきながらも再犯してしまうのは何故か

そういったことがわかりやすく書いてある。
そして、行きつく先が子供時代の育児環境。
これが大人になっても行動の基となり、思考の根源てきなものになることから、育児ということの重要性を再び認識しました。


この本からの学びを備忘録として記録
加害者に対して被害者に対する反省を考えさせる行為は今後再犯の防止という観点からは効果は望みづらい。

何故か。
加害者が罪を起こして最初に抱く思いは後悔である。
その後悔は反省ではなく、自分が捕まることへの後悔など。そして思いはそれだけではなく被害者への不満が多々ある。
あいつは○○されて当然だとか、あんなことしてるから○○されたんだとか

こういったことを解決せずに反省文だけを書かせてもそれは表面だけのもの。どんな立派な文を書いても表面上だけであり再犯の確率は当然高い。

加害者に対して行わらなければいけないこと
まず加害者が抱いている不満を吐き出してもらうこと
それも自由に思いを語ってもらうのが一番のようだ。そこから徐々に不満の根本的な原因を探る作業になる。当然過去にさかのぼっていく
そうすると自分の親に対する不満が出てくる。親に対する怒りや悲しみ、嫉妬など様々なものがでてくる。そこで初めてもう一度自分と向き合うことが出来て自分の行った行為を振り返ることができる

例えば、覚せい剤所持者が殺人を起こしてしまった場合(抜粋)
何故殺人をしてしまったのか

覚せい剤を使用したから(加害者)
↓何故、覚せい剤を使用したのか
シンナーをやってたから
↓何故シンナーをやったのか?
たばこを吸ってたから
↓何故タバコ?
悪い仲間に入った
↓何故仲間に?
イジメられたが親の財布から金を抜いて渡すとイジメられなくなり仲間に

その加害者の親は抜いた金を返せと言うがイジメに対しては無関心。そして日常的に父親は暴力をふるっていた。
加害者は助けを求めても助けてくれる人はいなく不満はたまっていった。

ただこういった過去への振り返りから父親に対しての不満を吐き出し、父親に対して愛してほしかったことや父親への謝罪の気持ちなどが出てきて、現在の被害者への謝罪の気持ちが出てくる。

こういった自分が犯した罪に対してやみくもに反省をさせるのは意味がなく、加害者自身が何故行動を起こしたのか、そちらに焦点を合わせていかないと解決は難しいことを理解した。
この例からもわかるように加害者の少年時代の不満が現在の犯行に結びついてくる。
そして、次へのステップを踏むためには過去を見つめ返す必要が十分にあることがわかる。

親から受ける教育は子供時代を終えても長い間影響を与えているようだ。
例えば、他人に対してすぐに怒りを見せる人や他人の行動で気に入らないことがあり中々我慢が難しい人などは親から価値観の刷り込みがあったことが多い。
これが正しいことだ!こうしないといけない。などの価値観の刷り込みを子供時代にされてくるとその価値観からはみ出たものに関しては許せないという判断につながってくるようだ。

不安を抱えるということで相談などできない人
これは我慢が当たり前という育て方や一人で頑張るものだ。人に迷惑をかけてはいけないなどの人とつながることを阻害されるこれらは人に頼ることが難しい価値観を育ててしまうことになる。

大人になっても行動の根本的な原因は子供時代に遡る
子供時代の育児の重要さというのがよくわかる。
子供が問題行動というものを起こしたときに、僕はすぐさまはその行為を叱ってしまう。
でも本当はその行動の原因をまずは探ることが重要なのかもしれない。
つまり問題的なことをしているときは、子供の自己表現であり子供からのSOSかもしれない
その時は大人としての支援のチャンスであり、子供が今抱えている不満を存分に語らせるチャンスと捕えるところが重要なのだろう。


イジメ問題も同じ
イジメられた子の事を考えなさいと言うのは解決につながりづらい。
なぜイジメをした子にそういった行動をしたのか、イジメた子に対する不満は何か
何故それを不満に感じるのかというところを深く掘り下げていかないとイジメをした子はターゲットに対して今度はもっと陰湿になったり、ターゲットがいなくなれば別のターゲットを見つけていじめを繰り返すだけだろう。




今回の一冊は育児にとても参考になることが分かった。
書いてあることは難しいことではなく単純に不満を語らせて、その不満の原因を突き詰めていこうということだ。とても良い一冊に出会た。

反省させると犯罪者になります (新潮新書)
岡本 茂樹
新潮社
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2015年10月21日水曜日

少年野球のスライド制作

息子が少年野球に入団しており、今年卒団する上級生のスライドショー制作を依頼されている
保育園でスライド制作は手伝ったことがあるが、実際に制作するのは初。

やってみると難しいが楽しい。

子供たちの姿を写真を通してみることで一年の流れを把握でき、
様々な様子を見ることができる。

さらに、スライドショーを制作する過程で子供たちの練習を見ると視線が変わった。
ここは写真としてほしいな。この雰囲気は動画として欲しいなとかそんな感じに(^m^ )

たった一年を通した写真なのだが年明けから子供たちの顔をみると成長しているのがよくわかる。
顔つきが変わっているのだ。
これは上級生だけではなく一年生から顔つきが変わっている。
成長する時期なんですかね。

NPOという組織である少年野球の運営は父母たちの集まりによって行われる。
そのため会社の職場とは違った問題も浮上する。
その時に話しないという場になるが、そこで様々な意見が聞ける。
これが意外に面白い。
自分にはない角度からの意見を聞くとそういう見方もあったんだなとか、気持ちを前提とした話しぶりを聴いたりすると情熱的な人だなとか色々なことが見えてくる。

勉強になることがもの凄く多く、職場的な役職というものがないだけにみんなが同じ立ち位置からの観点になるため意見がまとまりづらい。
その話をまとめやすいような意見が飛び交ってくると、ものすごく胸の奥からのワクワクが止まらない。

39歳になり自分の成長はもう終わったと思っていたが、こういった新しい刺激から自分の思考の仕方の変化を考えるとまだまだ自分も成長できそうだなと自分に期待しております。





2015年10月16日金曜日

伝え方

自我が発達してきたのかイヤイヤを見せる次男
いたずらにも拍車をかけて日々堪能した毎日を過ごしております。

そんな中で自分でやりたくないことを甘えてやって貰おうとすることがあります。

例えば着替え
自分で脱いで着ることができるのに、甘えて泣いて『やって~』というときがある
この時に自分でということを伝えると自分でやることになりますが、
自我がハッキリしてきた2歳の期間が一日で終わるわけもなく、次の機会には再び『やってぇ~』という展開に。
ここで再び自分でね!と伝えるのですが、一回目にはすんなりと聞いたことも二度目になるとイヤイヤということで譲らない。あくまでも『やってぇ~』と一点張り。
言い方を変えて何度か成功もしますが、日付が変わると再びの繰りかえし。






















最近少し気づいたことがあります。
言い回しをアレコレとするよりも言い方を変えるよりも一番の効果的な伝わり方は・・・




親の態度


これだと感じました。

態度というと怒った態度とか思われると違うのですが、あくまでも毅然とした態度が最も重要と思います。子供が何度もやってやってと言って来たり、こちらが伝えても聞く耳を持たなかったり行動を見せてこないのは、親の関心を引く行為につながり親がやってくれるという期待を持たせてしまいます。
これが問題のない行為であれば期待を持たせても良いと思いますが(例えば一緒に遊ぶことなど)子供が自分でやらなければいけない行動を親にやってもらおうとすることであれば、断固としてこちらの意向を伝えなければいけません。

その際に親として僕は一切手出しはしませんよ!ということを言葉よりも態度として表すことの重要さを次男にして、三人目にして気づきました。

どんな言葉を羅列して説明したり説得をしようとしても、親が子供の方に向いている間は子供は自分の要求を曲げようとしません。それは親が子供に向いているということは子供の要求を叶えてくれる行動と結びついているから。
だから態度として向いている方向を変えないと、親としてのこちらの意向が伝わらないというのを感じた。


僕は良く例えを使って言ったり、言い方を変えたりと様々なことをやって伝えてきました。
もちろん伝わったこともありました。

でも言葉よりも重要なことがある


理解するのはあくまでも子供本人。
大人が様々な判断材料を提供して答えを導くのではなくて、子供自身が判断をしなければいけない。そんな行動を促すためには、やらなければいけない事に対して少ない材料で自分だけで答えを見つけてもらわなければ意味がない。
だから敢えて言葉を少なくしてやらなければいけないことに正面から向き合って考えてほしい。


向き合うのに言葉はいらない。
向き合うときに親が手出し口出しをしなければ、子供は課題と向き合うしかない。
今までの僕は子供たちに対し、答えと数式までも提供してたような感じで導いてた。
数式で書くならこんな感じだ↓
A=X+Y
Aが答えで例えば着替えとする
XとYは単純に答えになる理由など
つまり今回でいうと答え(A)が着替え
XとYは着替える理由など

今までの僕は着替えてねと伝え、汚れた服は洗濯だからとか、そのままでは家の中も汚れるからとか、食べた後は着替えだよとか様々な答えを先に子供たちに伝えていた。
何もかも導いてた。
そんな必要はなかったんだ。
本当は子供たちから着替えの理由を聞いてくるぐらいがちょうどよいのかもしれない。
自分たちで行動の疑問を感じたら考える癖を持ってもらうようにしないといけないのかもしれない。


伝え方に対して僕の最近思った考えです。

また変わるかもしれないけどね

ゲラゲラゲラゲラ



2015年10月15日木曜日

繰り返し伝えることの大事さ

段々とさむくなってきた北海道
身も凍えるような日々ですね。

運動会も無事に終わり衣替えを行っている我が家です。

現在、長男は小学生、長女は年長、次男は2歳という我が家の子供たちの構成ですが
保育園児である長女と次男の保育園では、いたるところに花が花瓶で飾ってあります。
これは2歳である次男も障れるような高さに飾ってあるんです。

本物の花を自分たちの目で見て、美しさを感じてもらいたいなどの意味もあるようですが、僕は最初落とすとか壊すのではという不安ばかりがありました。

でも、不思議とそういったことはあまりないんです。ほぼないんです。
悪戯をしたくなる子供たちには触らずに見るものとして伝えていきます。
年齢を重ねていくと触り方なども理解するようになります。

最初っからすぐに理解するわけではないですが、触らずに見て感じることを伝えていくと2歳の次男でもしっかりと理解して触っていたずらをすることはありません。
しかも、その伝え方というのは怒る伝え方ではないんです。
ただ伝えているだけ、本当に伝えているんです。

これが最終的には子供たちがしっかりと自発的に自分たちで触らずに見るだけの行為へと発展していく。
子どもだから わからないとか
子どもだから まだ無理とか

実際に僕は子供たちの可能性を自分の中で否定して、無理だから仕組みとして触れない所に置くとか、まだ部屋の中では難しいから花とか花瓶などは置かない方がいいとか考えていました。

これが間違ってた( ºΔº )

子供たちを常に一人前の人として接するようにしていかなければいけなかったんです。
子供が自分で考えて自発的に行動できるまでしっかりと見守るようにしていかなければいけないというのを感じました。


寒くなり秋空を見ながら芸術の秋と感じつつ忘れぬうちに書こうと思ったことです。




2015年10月7日水曜日

さくらさくらんぼ保育実践保育園 かもめ保育園に預けて思うこと

無事に運動会が終わりました。
年長の娘の最後の運動会
真剣なまなざしにドキドキしながらもがんばった姿に感動し、ほっとした。

三年前は長男が卒園し来年は長女が卒園となります。
このかもめ保育園に来る前には札幌の保育園に通っていました。
その時は育児の知識は本で読む程度でも自己満足がとても高かったのですが、この保育園に来てから懇談などで育児をここまで深く学ぶことになるとは考えもしなかった。
ヽ(´∀`)ノ
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僕がこの保育園を通して思ったことの備忘録として記録します。

子供たちの成長を通して、親である僕が常に学んでいかなければいけない。
なぜ学ぶのか
子供たちは将来成長し大人になることで新しい社会を築いていきます。
その社会に出るまでの準備として、しっかりとした自分を持てるように育児していくことが大切。


育児の結果はどこで表れる!?
子供たちを育児、教育していく中で実際にどういった形で教育したことが現れるかという一つの目安が、家庭という枠からでた外の世界での様子とおもう。
この親から解放された、親の保護から外れた外界において子供たちが自分という軸を維持できるのか、自分たちで切り開ける強さを身に着けているのかを垣間見ることができるのだろう。

学校や保育園という集団生活という中で子供同士の関わりから『泣いて要求を通す子』『何も言えなくなる子』『外が苦手で外遊びできない子』など様々な様子を見ることができる
その時にこれが我が子の性格なんだと子供の可能性をゼロにするのではなく、もっと成長できる強さを子供たちが持っていることを信じ、これから社会にでるにあたり自分をもっとしっかりと表現し思いっきり活動できるようにするにはどうすればよいのか!?という疑問を持ち考えていくことが大事と感じる。

課題を解決するには
ただこの課題が出てきたときに解決が非常に難しく、一家庭で解決しようとすると非常に苦しむ。
それを沢山の親たちと一緒に悩んだり考えたり試したり、そして保育園側からも一緒に考え悩み解決に向けて動いてくれるというのは、ものすごくありがたいことだ。

一人の子どもを育てるのに村人100人が必要(インディアンの言葉)



子供たちは樹木
子供たちを例えるなら樹木のような感じ。
それは家庭から保育園、学校などに通う子供たちは、家庭で栄養を吸い幹を太くし枝を伸ばして様々な花を咲かせる。その栄養とする部分に何かしらの問題がでてくると花が咲かなかったり、すぐに枯れたり虫にやられる弱い花になる。

その足りない栄養の与え方をかもめ保育園が指摘してくれる。つまり庭師みたいなものだろう。


保育園は栄養を吸うところではない、
栄養の与え方を指導してくれるところ。
ここが僕の勘違いだった。
保育園に預けてさえいればどうにでもなるという考えだったが、そこは違った。
原理原則は家庭にある
どんな長い時間保育園に預けても栄養を吸い取るのは家庭なのだ。家庭での育児が方向性を謝ると結果は・・・ということだ。

来年長女は小学生だ。
本当のスタートが来年春には始まる。
そのために育児についての学びはこれからも続けていこうと思う。

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