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2019年8月6日火曜日

コーヒー粕をどうしてる?我が家の活用法

コーヒー中毒です。
どうもこんにちわ
水のようにコーヒーを飲み、
滝のように小便をしてます。
汚くてごめんなさい。

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そんな毎日に出てくるものがあります。
コーヒー粕。
以前はインスタントコーヒーを飲んでいた時もありましたが、コーヒーを落として飲むことを知ってしまったら、もう戻れない。


そんな大活躍のコーヒーの粉は以前は捨ててましたが、毎回発生する粉に何か使い道は無いのか⁉と。
いろいろと調べてみるとそこそこ出てきました。

ただ粉は湿った状態になっているので、まずは乾かさないといけません。
この乾燥させる作業が大事

我が家では捨てる予定だったオボンを利用してます。

第一段階
まずはフィルターに入れた状態のまま乾燥させます。


第二段階
フィルターと粉を分けて乾燥

こうすることでべたつかず、さらにお互いを乾燥することができます。


第三段階 
フィルタの乾燥を確認したらフィルターをネジル、絞る

このフィルターはキャンプの焚火の焚き付けやBBQの時の焚き付けとして活躍します。


第4段階
粉の乾燥により完成

乾燥すれば入れ物に入れて保管です。

そしてこの粉の使い道ですが、消臭とか色々ありますが、我が家では畑の堆肥の一部として利用。単体だと堆肥にならないようですが、ほかのゴミと混ぜ合わせることで効果あるようです。

実際にやってみると粉には空気が通りやすく、土に埋めた時の空気の循環としてとても良いと感じます。
我が家では家の床下でコンポストをやってますが、常にホカホカ。



キッチンのシンクの生ごみはコンポストで処理してます。
ハエ予防にもなりおすすめです。

コンポストの中身はこれがおすすめ。
この2種類を入れるだけでバッチリです。
比率は燻炭が1に対して、ビートモスが2

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2019年7月18日木曜日

子育ては何を意識をするのか


陶芸って一度やってみたい

子育てをしていると、つい色々と口出しをしてしまう僕です。
あれしなさい
これしなさい
アレはどうなった
これはどうするんだ。
どうする?
やったか?

文字にしたら驚くくらい指示は求められていない助言の嵐でした。
自分で自分に驚いた。


よく子供たちが散らかしたものに対して、片づけてと言って片づけない様子から腹が立ったりします。

これはこちらが言った言葉に対して子供たちの行動が違うというところなのですが、こちらが言ったことに対して、子供の行動を勝手に期待しているところのギャップなんだと最近感じてます。



言ったことに対して思惑通り動いてほしいのは子供をコントロールしているのと同じであり、子供に対して自分の想定内の枠を与えていることと感じます。

ただ電車の中で走り回ったり、騒げないところで騒いだりすることを注意するのは大事です。


では言っても聞いてくれなかったり反発的な行動をするのは、
どうすればいいのかとなりますが、

問題は受け取り方にあるんだろうと考えています。


子供たちは様々な情報を日常で受け取り自分たちで処理していきます。
その処理の仕方は生活を営む家庭から生まれた価値観により判断していきますが、
この価値観の育て方が大事なんだろうなぁ~~~と考えるわけです。


伝えたこと、注意したこと、叱った事後に


どういった行動をみせてくるのか


廊下を走らないでと伝え、一か月後の日常ではどんな生活の変化を見せてくるのか、
こちらの気持ちを受け取った時に、
正しい行動を伝えた時にどういう受け取り方をしているのかが、とても大事に思えるのです。


だから、子供が言うことの利く魔法の言葉とか
これを言えば子供が行動するなんてことは考えず、



「育児とは子供の器を作ること」
と考えていくことが重要と感じています。


廊下を走らないでと伝えた子供が、一月後、廊下を走らないというポスターを作るのか、走っている子を注意するのか、再び走るけど誰もいない放課後だけにするのか、
そういった行動の変化を見守っていきたいと考えてます。

これ一つあると色々と遊びが広がる




2019年5月21日火曜日

色眼鏡


人との付き合いの中で
他人を勝手に決めつけてしまうと、話をしていても「結局この人は…」みたいな態度で聞いてしまう。


これってものすごく無駄だ。
人を勝手に判断してしまうのは、礼儀礼節としても問題あるが、話した内容が事実であろうが、何であろうが、色眼鏡で見てしまった人には聞こえない


逆に色眼鏡が良い方向に動くときもある
尊敬している、崇拝している人の話なら何を言っても聞く。
宗教に似ている。



人を決めつけてしまうのは、
ある意味自分の中の弱さなのだろう。


この人のことは聞かないと決めつけて心を閉ざしたり、
この人のことだけ聞いていれば間違いがないとか。



責任を他人のゆだねることで自分を守ったり、
自己肯定を下げない様に聞き入れない様にしているのかもしれない。

自分でもこういったことは常々あり、自分から見たクレーマーな人からは何を言っても聞くつもりもなく、尊敬している人がやれば、黒も白にしてしまうような気持になる。


しかし、後から為になる話と思って聞くと、実はクレーマーな人が言っていたことであったり、そこは許せないなと思ったことが、実は尊敬している人の行動であったりする。



この色眼鏡は本当に気を付けたいと思った。




2019年5月17日金曜日

子どもの悪さ、親の謝罪。ここから生まれる問題点


子供たちの成長は本当にあっという間
ついこの前に押し目を変えていたと思ったら、
中学生に

驚くばかりだ。

それだけ自分も年を重ねていることなのだが、人生あっという間というのは本当ですね。


子どもが成長していく過程に様々なことがあります。




それは子供だけではなく、
周りにいる大人たちも同様

どちらかと言うとこの大人たちの方がプライドや見栄、損得などが絡み、話をややこしくしているところが大きい気もします。

小さい子供と言ってもやられる側の親と、やる側の親の気持ちの持ちようは様々。

悪いことをしたら叱るのは当然。

そして、その悪いことをした親の謝罪
ここが今日の課題だ。

悪いことをして親がその責任として謝罪するのは当たり前。

では、プールで遊び、AにBが水掛けた。
Aが泣いた。
それを見ていた大人がBを叱った。

ここまでは何も違和感がない。

大人がBの親に謝罪を求めた。

ここだ。

悪いことをして叱るのは当然だが、その悪いことをどこまでのレベルとして受け取るのか
子ども同士のじゃれあいとしては受け取れず、親にも謝罪を求めることなのか。


ただじゃれあいとしても、やりすぎはある
その際に大人が叱るのは当然であり、全てを無視しろとは言わない。
問題はその結果を大きくしてしまうこと。

悪いことをしたのだから罪の意識は当然
これは同意する。

しかし、子供の成長を考える大人として、Aにも、そしてBにも成長を求める。
罪の意識の植え付けとかは別として、
もし、怒り方として子ども自身を委縮させるような結果になるのなら、その大人の行動は改めて考えねばならない。


そこまで大きな事件にするつもりがないが
謝罪はしてほしい

しかし謝罪を求めるくらいの考えなのである。
つまり、起こった事を大きくしている。

子どもを委縮してでもコントロールしたいことになってしまう。


改めて考えてほしい
子どもたちを、お互いの子供たちの成長を願い、係わってきているのに、
その成長を阻害するような対応はいかがなものだろうか。

謝罪を求めるような罪なのだろうか

そんなに悪いことをしたのなら謝罪も必要だ。

しかし、、1歳の小さな子同士のじゃれあいから、片方が泣いたとしても
大人に謝罪を求め、子供には犯罪的な行為だからと戒めるのだろうか

子どもには叩いたら痛いんだよ!って感じではないだろうか?
痛いんだよっていう事柄を事件性として謝罪を求める行為は、何故なのだろうか


一番の問題点
謝罪を求められた親は当然子供を叱る。
再び同じことが起きたら、再び謝罪を求められるからだ。
それは、何を引き起こすだろうか⁉

子供の成長の過程で
1歳では難しく2歳から理解できる内容としたら、
謝罪を求められた親は次の行動をとる。

1歳の我が子に同じことをさせない様にコントロールする。

理解できるのが成長過程としてまだ先であっても、謝罪を求められるなら子供をコントロールしなければいけない。
つまり子供の自由にはさせられない。
例え理解していない子でも。


謝罪を求めるのなら・・・
そこまですることなのか!?を考えねばならない

これは親としても子供としても成長を阻害することになる。



お互いが大人としても子供としても学びの場であり、成長を委縮させるような展開に持って行ってしまうのは非常にもったいない。


でもこういったことはお互いの勘違いから生まれる。
実際にじっくりお互いが話、お互いの歩み寄りにより理解しあえる。
つまり、謝罪が悪いとか謝罪しないのが悪いではなく

お互いの価値観の違いを理解することが大事って感じがする

2019年5月16日木曜日

叩く子、手が出てしまう子はどう対処する?



子どもの行動に白か黒かと区別するようなことは未就学児童には早い気もします。
ダメだからダメも必要ですが、失敗から人間関係を肌で感じ、叩いてばかりいると友達も離れたりしていくように、大人がいちいち介入していると肌で感じる前に行動の制限をしてしまう恐れのほうが怖く感じます。




小さいうちに行動を制限され、その影響から良い子を演じるようになってしまう方が怖い。

小さいうちは手が出てしまう子がよくいたり、それが叩かないで話そうねと伝え続けることで成長とともになくなっていくというのはよく聞きます。



この叩いてしまうのは
言葉として伝えることが難しく、手が出てしまうなどがあるようです。
何をしたから明日からそれをやらなくなるってことは考えたくないですが、対応策の一つとして、話し合いによって解決できるってことを感じさせるのも大事かもしれません。


これは友達同士で体感するには難しところもあるので、親と子の中でやるのが一番なのかとおもってます。




子供を叱るとき、理由も話させず、欲望を聞きもせずに、ただダメだ!ダメだ!と怒ってばかりいると、話し合いのコツを感じずらくなるのかもしれない。




そのため、何かの注意をするときはむしろ話し合いという手段を少しでも理解させるチャンスなのかもしれない。





2019年4月4日木曜日

これ最高!iphone xs maxケース

iphoneケースをゲット
様々な店を物色し、ネットを駆け回り
とうとう見つけたのがあります。


ぐひひひひひ

選ぶ基準は
手帳型は外す
・電話するときに毎度開いて電話するのが面倒
・写真撮るときに開きながら撮影するのが面倒
・電話の着信をこまめに開いてチェックしそうなので

カードを収納できることが一番
・財布に入っているカードを財布から減らしたい。
・交通機関を乗るときにスマホでタッチで乗り降りしたい

こんな基準で選んでます


そんな中で見つけたのがこれ‼

そして背面が開きます
ここにカードがたっぷり入ります
地下鉄のカード、これはiphoneで対応できないのでカードにしてます
そして磁気カード
免許証
保険証
個人番号カード

すべてが入ってしっくり
うひゃひゃひゃひゃ
超最高






2019年3月29日金曜日

考えは色々あってよい

十人十色

こんな言葉は小学校の時に覚えた記憶があります。
その時は意味は分かっていましたがそれほど気にもしない言葉でしたが、年齢を重ねていくとこの言葉の意味の捉え方深くなっていった気がします。

実際に保育園、学校、職場など様々な人が絡み合い社会がなりなっていますが、
考えの違う人を異物として排除しようとすることは、賛成できることではありません。



方向は当然同じでないと進むことは困難になりますので、同じ方向を歩もうとするならば同じ向きに向かないといけないと考えています


保育園でも預かる側と預ける側がいます。

預かる側がテーマをもって保育する以上は、預ける側は預かる側の方向性を邪魔するわけにはいかないのです。

もし方向が違うのであれば自分の方向と同じところに預けるべきだからなんです。


つまり預ける側は預ける側に合わせることで初めて預けることが成り立ちます。




お友達の家に子供を預ける時に、うちの子はオヤツは〇〇じゃないとダメ、ご飯は〇〇以外は与えないで、一緒に遊ぶときは○○しないといけないからね。なんて言われたら僕だったら断ります。
そんなに言うなら自分でやってよ!と。

我々は互いに支えあい社会を形成している以上はお互いの関係を考慮して対応しなければいけません。
そこには様々は習慣や風習などがありますが、基本的には礼儀礼節を前提とした対応が必要です。

英会話学校に通って日本人だから英語は話すつもりはない!この時間は暇だから来てるんだ。金払ってるんだから好きにさせろ。なんて事と同じにはなりたくないですね。





2019年3月27日水曜日

遊んでいても、親を呼ぶことが多い

遊び
遊びって想像以上に大事なことのようです。
遊びと軽く思っていましたが、遊びを前提に人は成長していることを考えるとすべてのスタートは遊びになる。
育児も当然として遊びが非常に重要になってきます。

今回はその遊びの中で親を呼ぶパターンについてです。
あくまでも一例ですのでこれがすべてではないことを踏まえてくださいね。

遊び足りなく欲求不満から欲求を満たそうとする方法として、承認欲求を使い満足しようとしている

こんな感じに見える時があります。

親を呼ぶことがダメとか、
遊べていないからダメな子とかではなく、
遊び足りない状況であることを親として認識することが大事なのかなと考えます。


遊び足りないなら一緒に遊ぶのも一つの方法であり、翌日以降の遊び方としてもっと楽しめるような工夫を考えるのも一つの方法なんだろうなとおもったりします。


育児を指摘されると親としての価値観を否定されているような感覚になりますが、決してそんなことはなく、育児の指摘はその子の伸びしろがまだまだあるよってことなんですね。

そう考えると指摘された方が「あなたの子供はもっと成長する可能性があるよ」ってことですね




2019年3月26日火曜日

協調性


保育園、幼稚園、学校生活など
子供たちは集団生活の中へと入っていく。
その中でどれだけの楽しいに出会えるか
どれだけの楽しいを見つけることができるか





集団となると個性や協調性などという話になるが,今回は協調性について書いておきたい。

協調性、または共有感覚は自分以外の人と同じ気持ちになっている的なことのようだ。

親子で楽しいと思ったことが、ほかのことも楽しめることで楽しいが広がる。
楽しいが倍増していく。
これが楽しさの確信になる
これが協調性といわれる他者との共有感覚になっていくようである。


家などで歌い楽しい思いが、保育園で他の子と歌い楽しいを増やすことになり、楽しいを確信し協調性につながる。


我が家のことは協調性が低いとか無いという見方よりも、
楽しい思いをどこに感じているか
そこに目を向けると違うものが見えてくるかもしれない。




2019年3月25日月曜日

問題への対応


問題に対する取り組みはいろいろとあると思う。

大事なのは向き合い続けることであり、
問題から顔をそむけることではない。

自分の問題であったり、相談される問題であったり問題も色々だが、
もし相談された問題に一緒に取り組んでも
なかなか変わらないことも出てくると思う。

そして、あきらめてしまうこともあると思う。

相談された問題はあきらめることは簡単だ。

でも、相談した相手の問題はまだ続いている。




問題は簡単には解決しないから問題になってる。

だからと言って何もしないわけにはいかない。

なぜなら、どんなことでも自分の主張は伝え続けなければ意味がない。

主張は言わなければ相手に聞こえない
言い続けなければ相手には伝わらないんだ。

言っても意味がないと思うは意味がない。
言い続けないと意味がないんだから。

ダイエットだって一日二日やったところで知れている。
続けることで本当の効果が出てくるのだ。

その本当の効果を得るために伝え続けるのは本当に重要である。

同じ言い方で伝え続けても意味がないのも知ってもらいたい。
伝え方を工夫するのは伝える側の責任であり、役目である。

自分だけの問題であれば、問題から目をそらすのはたやすいことだ。
でも我々は親である。

親としての背中を見せることも考えていかないといけないようだ。




2019年1月17日木曜日

育児ノイローゼは身近にある

子育て
子供が家にやってきて他人じゃない身内の教育がスタートします。
会社であれば部下や後輩になりますが、家庭では子供がそのポジション。

部下であれば叱咤激励でがんばったり辞めたりとなりますが、
子供の場合は会社を辞めるわけにもいかず
部署の移動もできないので、ある程度の成長まではずっと一緒。

このずっと一緒が幸せであり、
プレッシャーでもあったりする。

教育という永遠のテーマによりいろいろと体験することになる。

これを深く考えてしまうと胃痛胸焼けを起こすような
育児ノイローゼになってしまいます。


かといって、ほっとけばいいとなれば、ほっとかれた様に育ちます。

最低限として社会に送り出す大人としては、
人として生きる上で必要なことだけは
教えてあげたいなと思ったりもします。


この基本的に必要な部分というのが
住む地域や人によって様々な形式があり、
これという形がありません。

だから電車に乗っても色々と話題にもなるわけです。
(ベビーカーとか)

きっと答えはなく、その時その時によっていろいろな形式の答えがあると思うところです。
ただ一人で抱えてしまうと本当にきつい問題になる。


小さな問題も一人で抱えることで重たくなるけど、
二人で抱えることで半分ずつの重さになります。

それを4人で抱えればもっと軽くなる。

つまり、問題はできるだけ多くの人を巻き込み背負うことで軽くなると思うんです。

本当は楽しむ育児がノイローゼになってしまうのは、
本当にもったいない。




そして、ノイローゼになってしまうほど、
対処していない周りにも責任はあると感じます。


愚痴ってはいけないという風潮もあるかもしれませんが、
笑い話的に愚痴るのもありかもしれない。


子供が生まれ、新しいコミュニティとの接し方にも難しいところもあると思う、

社会は広くあわないコミュニティもあれば合う人たちもいる。

だからこそ自分のあったところを選択したり、
どういったコミュニティなのか理解することも重要と感じます。


どれもこれも合わないと考えていれば行くところがなくなるかもしれない、
時間もお金も限りあると考えれば、
身近なところをじっくりと検討し、
家族にとってより楽しく過ごせるところを選ぶべきと思ったりもする。


親は選択して子供を預けることができますが、
子供は選択されたところに預けられる。


預け先と親との考えが違うときに、預けられた子供はどうすればいいのか!?
そこを第一優先で考えてあげるべきと思います。




2018年10月26日金曜日

乱暴な子と乱暴される子

乱暴

と例えると大げさと取る人もいるかもしれない。
ただやられている人から見ると例えが小さいというかもしれない。

この乱暴の大きさに注目しても平行線な気がする。



例えば園児などが手が出たりする力技に出たとき、注意したりやられた子にやり返せ!と促したり。それは各家庭の色があると思う。

ただ我々大人としては子供たちが自立して社会に出るべく準備をしなければいけない。
社会に出てから○○しなさい。〇〇はダメよとは言ってられない。

子供達には自分で判断できるようになってほしい。
だから叱ってダメなことを常に伝えていく。でもない気がする。

出てきた選択肢の中で子供たちが自分で選択し自分で判断できるようになってほしい。
それがお父さんが言ったから〇を選択した。ではなく自分の考えとして〇を選ぶようになってほしい。そこには誰々が言ったという理由ではなく明確な自分の判断材料があるはずだ。



乱暴した子、された子にはどう接するのか。

広木先生の本でも紹介されているが、「乱暴した子に叱ってダメだと伝えるよりも、自分の内面をそういったことでしか表現できない。今後の課題として一緒に取り組む」ということが書いてあった。

乱暴はもちろんダメ。
その場で叱ったり怒ったりしても結局は見てないところで繰り返すだけである。これが学生間のイジメにも相当すると思う。
日常的な友達同士の関りを通して、どう接するのかを伝えていくのが本来の導き方なのだろうと感じる。





やられた子

やられた子が弱いから悪い訳ではない!!

圧倒的に力の差があることも当然ある。年齢差による力の差も当然ある。
ただ注意したいことがある。

喧嘩は勝敗ではない。

勝ち負けではないからこそ表現することの重要さがある。表現しなければいけないこともある。
そして、知ってほしい。気づいてほしい。

言いたいことは、言っていい。
表現したいことは、表現していい。
泣いてもいい、怒ってもいい

ただ周りの大人に助けを呼ぶ前に自分の一歩だけは
踏み出してほしい

一歩だけでも踏み出すことができれば、これから先は2歩3歩と進むことができる。
それを知ってほしい。

だから、親として僕が注意しないといけないのは、泣いてるからダメではない。
やられてるから弱いでもない。
表現できる権利があることを知らせなければいけないってことだけなんだと感じる。



2018年10月18日木曜日

子供の片づけ 片付けない長男が片付けるようになった

片付けても片づけても散らかってる子供部屋
長男が小6になりますが、ずっと散らかり部屋でした。
色々なことを試し色々とやってきた。

でも長続きがしなかった。

・心理的なものあるのかと自信を持たせた方がいいのか⁉
・気持ちを落ち着かせたほうがいいのか⁉
・注目してほしいから片付けないのか⁉

本当にいろいろと考えました。

なのにここ一か月 
部屋が綺麗です

ええええええええええええ
って驚いてます。
本当に驚いてる


片付けるようになった経緯を紹介します。

何か一つでも皆様の役に立てればと・・・




ある日洗濯機が壊れました。
かなりヤバイくらい揺れて音も大きい状態をずっと使ってたのですが、とうとう止まった。
そこでリサイクルショップで中古洗濯機を買うことに。



安いので十分と思っていたのですが、なぜか長男がドラム式洗濯機にこだわり出した。
(それでも中古ですけどね)

僕は高いのはいらないと言い続けていたのですが、
長男「ドラム式洗濯機を買うなら俺が洗濯する」と。
僕はどうせここだけのセリフだから買わないと一点張りだったのですが、妻が本当に約束できるのかと念を押し、今後ずっと一人暮らしで家を出るまでとの約束でもいいのかと、さらなる念押しをしても長男は
「俺が洗濯する」
そこで購入をすることに。

洗濯機が届いてから長男の洗濯が妻指導の下に始まり、乾いた自分の洗濯物は畳んですぐにタンスへという流れもしっかりと仕込まれておりました。

今までは自分の乾いた洗濯ものもずっとそのままだったのですが、これをきっかけに溜まることなく片付けるようになりました。

そして、洗濯物を片付け部屋もその流れで片付けるようになると部屋がずっときれいなままに。兄妹が散らかすと叱り、すぐ片付けるようにして部屋を維持するようになりました。

これがきっかけです。
ただの洗濯をするということだけ。

いまのところ一か月以上続いており、我が家では祭りで採った金魚の生き残りと同じように新記録更新中です。

仕事は人を成長させるとは本当なんだと実感したところです。
学校では教えてくれない大切なこと 19 楽しくお手伝い
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2018年10月13日土曜日

「やりたくないから、やらない」について


集団生活

子供が保育園や幼稚園に通うようになると集団生活になります。
この集団生活が小さな社会のスタートですね。

この生活を通して我々親たちは、
子供たちの様々な顔を再び見ることになります。



そして集団生活の行動がすべて親の期待通りではなく、
親の期待とは別な行動が多々あることも事実です。


子供同士のトラブルや役割という片付け係などの仕事を初めてやることで、今まで自分で生きてきた世界から初めて協調性が求められるようになってる気がします。


みんなでリズムをしたり
歌ったり走ったり


その行動の一つ一つに好き嫌いや得意不得意の感覚もでてくるようにもなってくるようです。

そしてみんながやっているけど、自分はやらない。
ということも多々目にする時期でもあります。


この時に子供が興味を持ってないから
やるつもりなくても問題ないという見方もあるかもしれませんが、
興味持てない、
集団での関りを避ける選択の仕方にもう少し目を向けたいです。


まだ人生経験の薄い子供たちが目の前のことに対して
自分には無理と評価を下してしまうことに注目したい

苦手があるの当然で、嫌いなことがあるのも当たり前だと思います。


これからの人生に苦手なこと嫌いなことは多々出てきます。
そのたびにそれを避けているばかりだと通る道が限らてきてしまうんです。

これから未来が待っている子供たちに
少しでも選択肢が増えるようにしてあげたい。

だからと言って嫌いなことを好きになれ!とか苦手を得意にすれとは言えません。

嫌いなこと、苦手なことの中から自分なりの楽しいを見つけてほしい。
ただそれだけ




避けることだけを早いうちにやってしまうと、
今後の課題に立ち向かうことができなくなってしまう。

それでは人生の可能性を少なくしてしまう


じゃあ どうやって楽しいを見つけることができるんだ??

ってなりますね。

それは次回に載せたいと思います

育児の参考になる本のご紹介


イラスト版 子どものアドラー心理学: 勇気と自信がつく45のスキル
菊地 典子 池田 彰子
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2018年10月12日金曜日

今年もやってきたスライド作成

長男が野球を始め

そこから写真を撮ったりその年の卒団DVDを作成したりとしています。
写真を撮ることはそれほど興味もなかったのですが、楽天セールでゲットした一眼レフの操作方法をプロカメラマンに教えてもらい。
そこからガッツリとハマってます。

最近さらに写真熱が過熱されてきている感じ
もうアツアツですよ




撮った写真を使ってスライドショーを作るのですが、この作業は結構しんどいです。
もうクタクタになるくらい大変

PCの性能がそんなによくないので、フリーズやトラブルなんかもあって時間がかかります。
当然一日で終わるものでもないので数週間かかりっきりになるんです。


それでも引き受けてしまうのは、

やっぱり楽しい
作り上げるのってとても楽しいです。

そしてスライドを作るにあたり過去の写真を何度も見返すことになるのですが、その作業が昔を思い返すことになりとても和やかになります。
写真を見返すことは僕自身そうそうなかったのですが、こういった作業を通して過去を振り返るのは満足しています。

そんなスライド作成のソフトはたくさんあったり無料でできるものもありますが、有料ソフトにはやはり有料ならではの作業ができ、それにより自分の想像に近いものができあがるんです。この自分のイメージに近いものが出来上がることで作り上げた感がさらに高まります。



使いやすさからお勧めできるのが

コーレル Corel VideoStudio Pro 2018 通常版
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いろいろと試したりもしましたがこれ使いやすかったです。
作品は後世に残るので今まで作ったものが残っているのもうれしい限りですよ




2018年10月10日水曜日

親だけが悪いのか

電車の中で騒ぐ子供は親が悪いのか





世の中の問題点になったり
小さな地域での問題点になったり
親として自分を責めてしまったり。

本当はここを重点的に考えていかないといけないのかもしれない。

やってもやっても子供の行動が周りからダメ出しをされてくる。
そうなると親としてはもう自分を責めても救われず
子供を責めても結果は変わらず
自己肯定感だけが下がる

0に近づいた自己肯定感を精一杯守るために、間違っているのは自分ではなく周りだという結論になってしまう。

これはとても無視できない流れだ。

例えば我儘であったり集団生活や社会の中でうまく対応できなかったりすると、まず気になるのが周りの視線や言われてしまうこと
親は何やっているんだ
〇〇ができてない
みんなできるけど△だけできてない
いつまで○○しているのか、まだやめれないか
などなど

こういったことを言われると、対応しようとしたり気にしなかったりといろいろですが、集団生活という一つの社会の中で生活する以上は無視することもできない。
ここが実は重要点になると思います。





家族だけで島で暮らしているのであれば、何とでもなりますが、他人と暮らす生活の中ではそれぞれの個性を尊重しつつ共有しなければいけないこともある。
トイレを使わずに自由勝手に撒き散らかすわけにもいかないんです。

そこで親としてはそれぞれ対応はしていますが、それでも子供の行動と結果が繋がらないことが当然のようにある。


行動は各個人の価値観から生まれる

何を重要視するか、何を優先するか、何を避けるか。
価値観の形成は日常生活から生まれてくるために、当然のように行われる自分の毎日の生活に何が原因なのかということは気づくわけがない。
(間違いを犯していることを気づきながら生活をしている人は滅多にいない)
酒、たばこというハッキリと体に悪いというのは、わかりやすいですが朝、子供たちが起きて三食食べて夜寝るまでの中で生活改善を考えても、そう簡単には見つからないんです。

自分たちは当たり前の毎日を送り、間違ったと思うことがあれば当然のように修正して生きているから、当然よう生きている生活の中で原因を探そうとするのはウォーリーを探すよりも難しい。


これだけ難しいことを前提に考えれば、○○できてない、○○がまだダメのようだ。と言われて理解して対応しても実際の原因を突き止めて改善できるのは、宝くじ並みの確立かもしれないのです。



それなら放置しておけばいいのか⁉
放置することはしません。





どう対応するのか


社会の中で生活することが前提になっている人であれば社会に送り込むのは大人の責任なんです。

そうなんです。
大人の責任なんです。

ここが重要。

大人の責任

つまり、親の責任だけではない。大人の責任なんです。
これは言葉遊びではなく、真意をついているところです。

子供たちを社会に送り出すのは、いち家庭の話ではなく社会で迎え入れるのです。
その社会を作っているのは大人である以上は、関わる子供たちすべてが我々の責任の範囲です。
子育て自体がいち家族でやるのは無理、無理というよりも矛盾していることになります。社会はいち家族で作っているわけではなく、たくさんの人で形成されています。

だから、
〇〇ができてない
みんなできるけど△だけできてない
いつまで○○しているのか、まだやめれないか?

これらは親だけのせいではないんです。

気づいたんなら手伝ってよ!
と逆切れしてしまうところかもしれません。


周りも一緒になって
しなければいけないところなんです。


近所のおじさんが子供の悪さを叱っていた時代がありました、
今も少なからずありますが、そういったことが社会で子供を迎え入れる準備になると思えます。

親の責任半分、周りの大人の責任半分みたいな感じですね。
「子育てはみんなでする」ってことなんですね。



小児科医のぼくが伝えたい 最高の子育て
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2018年10月8日月曜日

自立が目標としたら

目標が自立

この目標が自立とするなら子供ができるだけ自分でやることを見守ることになります。
この見守りに様々な壁があり、これが親を悩ませてくれるのです。

自分でやろうとしてもまだまだ幼い子供たちにとって成功という文字は存在しません。
この時期は体験のみ。
なにが成功で失敗なのかはあくまでも親の目線でしかないのです。

この親目線での判断が子供に失敗をさせまいと手助けだったり口出しにつながっていきます。
まだまだ人生経験の短い子供たちが自分の行動に対して失敗だとか間違いと指摘され続けていくと、子供達には共通的な行動がみられてきます。


自信を無くし、行動の枠を見せるようになる


この行動の枠というのは自分たち親の目線では全く感じることがないのですが、保育士や先生と言われ第三者の目線から見るとはっきりと見えるようです。

例えば人前でモジモジ
ハッキリと言えない
やられても何も言えない

これらを子供の性格という言葉でくくるには早すぎます。
なぜなら親である我々の対応一つでこういった行動に変化がみられるからです。
つまり性格だからしょうがないとしてしまうと子供自身の行動に可能性がなくなりますが、親の対応一つで子供の行動が変わってくるとするなら子供の可能性を広げていくことになるんです。



では親の私たちが悪いのか!

そうではない!
子供を通して我々親としての行動を見返すことができる。これが親のメリットでもあります。自分を見返す機会を子供を通して省みる。これが実際の子供を受け入れるということにつながると僕は思ってます。

子供のありのままを受け入れるが受け入れるということで一般的に言われてますが、子供行動を通してそれが自分の育児の結果であると受け入れることが本当の受け入れるということなんだろうと。








2018年10月5日金曜日

子育て、教育、育児、何を目標にしたらよいのか

あっという間に乳のみ児が大きくなってきますね
もと乳のみ児の北国です
どーーもーー

子育てをするにあたり本屋に行けばたくさんの本が並び
テレビをつければ様々なことが言われています。

何を目標にしたらいいのか わからなくなる
大概は各自の考えでやるのですが、教育という教科がないだけに育児の概念は人それぞれの十人十色
これが色々なところで衝突になったりトラブルになったりもしてる昨今ですが、
ぼくは子育ての基準に一つだけ念頭に置いているものがあります。



それが自立


先に生まれ先に老いていく我々親にとって残るのは子供である以上、社会に対して自分一人でやっていけるように導いていかなければいけません。




20歳か

電車に乗るときは大人料金になる中学生か

通学が一人でやるようになる小学生か

様々な意見がありますが、子供が自立を始める最初の一歩に合わせて考えたいと思ってます。

自立する前は親から栄養をもらい胎内でゆっくりと成長をしていきます。
それが出てきたとたんにヘソの緒を切り、自分で吸うことを始めなければ生きていけません。

そうなんです


ここが自立のスタートなんです。




ここから自立の始まりであると念頭に置かないと、子供自体を幼子としていつまでも扱うことになってしまいます。

乳飲み子から自立なんてありえない( ;∀;)
と言われるところですが、ここが一つの基準で見てもらえると僕のブログはわかりやすいと勝手に思ってます。




2018年10月3日水曜日

電池ランタンがなかなか良い

ほぼグループキャンプの我が家です
こんにちわ

暗いのが怖い僕としては明りはとても重要
キャンプに必須は何よりもライト
明りなんです。

以前はランタンにあこがれてガスランタンを購入し利用していました。
でもこのランタンは扱いがちょっと面倒
子供がいるとちょっとした危険なんかもあり
思い切って電池ランタンを購入

これです
電池なので雰囲気ある?といわれますが、正直雰囲気よりも扱いやすい
子供も使えることから一緒に道具を使うということで自分もキャンプに参加してる感。
ただご飯を外で食べてるわけではない、キャンプをしている感が大事と考えています。

キャンプしている感を養うにはやっぱり自分たちで家とは違うことを実感してもらうこと
当然外だから違うのですが、折角なら手で触れたり使ったりすることで外で必要なことを感じてもらいたなぁと感じる今日この頃です。

そんな思惑にとてもぴったりなのがこの電池ランタン

しかも明るい
超明るい
1000ルーメンです

扱いやすく明るいことから猛烈に重宝しています。
電池だからすぐ手に入るのがまたいいね







2018年9月26日水曜日

怖がり次男

我が家には5歳の次男がいます
この次男

超怖がり

打ち上げ花火を見に行けば、音で怖がり
公園の綱渡り的なものの前では怖いぃぃ
ウサギを飼っている家に遊びにいけば怖いよぉ

うさぎにもビビるのかと正直驚いた
昔から新しいことや保育園に見学者が来た時などは常にビビってたというのは聞いて聞いていました。
最近すっかりとこのことを忘れており、近々運動会になるので、運動会のスターターのピストルの音などにも昔から怖がっていたので心配になってきました。




この怖がることの目的は何だろうと思いずっと考えていました。
怖がることで何をしようとしているのか
何を避けることができるのか
その目の前のことを避けるのは当然ですが、その裏にある怖がる共通項を避けようとしているところがあります。

花火=大きな音
鉄砲=大きな音
綱渡り=落ちる
ウサギ=かじられる

こういった恐怖を避けようとしているのですが、共通項として身の危険がある。



身の危険を感じると怖いという表現によって、危険を回避しようとしているのだろうか??と仮定

身の危険がないことを理解し実感してもらうことでこの恐怖を乗り越えられたらと感じています。

運動会まで日がないのですが、全力で取り組んでみようかな


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