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2019年5月17日金曜日

子どもの悪さ、親の謝罪。ここから生まれる問題点


子供たちの成長は本当にあっという間
ついこの前に押し目を変えていたと思ったら、
中学生に

驚くばかりだ。

それだけ自分も年を重ねていることなのだが、人生あっという間というのは本当ですね。


子どもが成長していく過程に様々なことがあります。




それは子供だけではなく、
周りにいる大人たちも同様

どちらかと言うとこの大人たちの方がプライドや見栄、損得などが絡み、話をややこしくしているところが大きい気もします。

小さい子供と言ってもやられる側の親と、やる側の親の気持ちの持ちようは様々。

悪いことをしたら叱るのは当然。

そして、その悪いことをした親の謝罪
ここが今日の課題だ。

悪いことをして親がその責任として謝罪するのは当たり前。

では、プールで遊び、AにBが水掛けた。
Aが泣いた。
それを見ていた大人がBを叱った。

ここまでは何も違和感がない。

大人がBの親に謝罪を求めた。

ここだ。

悪いことをして叱るのは当然だが、その悪いことをどこまでのレベルとして受け取るのか
子ども同士のじゃれあいとしては受け取れず、親にも謝罪を求めることなのか。


ただじゃれあいとしても、やりすぎはある
その際に大人が叱るのは当然であり、全てを無視しろとは言わない。
問題はその結果を大きくしてしまうこと。

悪いことをしたのだから罪の意識は当然
これは同意する。

しかし、子供の成長を考える大人として、Aにも、そしてBにも成長を求める。
罪の意識の植え付けとかは別として、
もし、怒り方として子ども自身を委縮させるような結果になるのなら、その大人の行動は改めて考えねばならない。


そこまで大きな事件にするつもりがないが
謝罪はしてほしい

しかし謝罪を求めるくらいの考えなのである。
つまり、起こった事を大きくしている。

子どもを委縮してでもコントロールしたいことになってしまう。


改めて考えてほしい
子どもたちを、お互いの子供たちの成長を願い、係わってきているのに、
その成長を阻害するような対応はいかがなものだろうか。

謝罪を求めるような罪なのだろうか

そんなに悪いことをしたのなら謝罪も必要だ。

しかし、、1歳の小さな子同士のじゃれあいから、片方が泣いたとしても
大人に謝罪を求め、子供には犯罪的な行為だからと戒めるのだろうか

子どもには叩いたら痛いんだよ!って感じではないだろうか?
痛いんだよっていう事柄を事件性として謝罪を求める行為は、何故なのだろうか


一番の問題点
謝罪を求められた親は当然子供を叱る。
再び同じことが起きたら、再び謝罪を求められるからだ。
それは、何を引き起こすだろうか⁉

子供の成長の過程で
1歳では難しく2歳から理解できる内容としたら、
謝罪を求められた親は次の行動をとる。

1歳の我が子に同じことをさせない様にコントロールする。

理解できるのが成長過程としてまだ先であっても、謝罪を求められるなら子供をコントロールしなければいけない。
つまり子供の自由にはさせられない。
例え理解していない子でも。


謝罪を求めるのなら・・・
そこまですることなのか!?を考えねばならない

これは親としても子供としても成長を阻害することになる。



お互いが大人としても子供としても学びの場であり、成長を委縮させるような展開に持って行ってしまうのは非常にもったいない。


でもこういったことはお互いの勘違いから生まれる。
実際にじっくりお互いが話、お互いの歩み寄りにより理解しあえる。
つまり、謝罪が悪いとか謝罪しないのが悪いではなく

お互いの価値観の違いを理解することが大事って感じがする

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