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2018年3月31日土曜日

個人心理学講義②

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子どものライフスタイルの形成は就学前
問題行動のある子、人生の問題に対して準備できず野心的で支配者になりたがっているが社会のために力を持ちたいと思わない。人生の問題に関心を持たない

臆病、甘やかされて育つ

・問題行動の子供の特徴

課題の前に挑むこともせず立ち止まり、延期する、気晴らしばかりする。
困難をコントロールできるようにすることが大事
劣等感が大きすぎなければ目的を達成するために他人に関心を持つ

・劣等コンプレックス

もしも○○なら出来るのに!!とか、ずるさ用心深さ知ったかぶり大きな課題に背を向ける、多くの原則と規則によって行動を狭い範囲に限る。

怠惰は劣等コンプレックスの表れ

盗むなどは無防備や不在に付け込む、うそをつくのは真実を言う勇気がない。
盗むのは自分の気持ちなどの心を豊かにしようとする行動、自分の権利を奪われていると思わなければ自分自身を豊かにしようとは思わない。






2018年3月30日金曜日

本の備忘録 個人心理学講義アドラー

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中々面白かったので備忘録として---


共同体感覚が弱いと友人を作らなかったりする、
それゆえ問題行動が目立ったりする。
共同体感覚は学校などに行くための準備

人を罰や説教で変えることはできない。

聴衆の前での緊張などは劣等感からであり、聴衆と自分を信頼できると問題ない。
劣等感の強い子は自分より強い子を排除し弱い子と遊ぼうとする。
優越感から盗みを始める子もいる。これは相手を欺いて自分のほうが優れていると思い込むことの現れ。

優越性の追求は共同体感覚があってこそ
成功しようという野心を持っているという意味で優越性を追求する。

優越性、劣等感などが悪い方向へ働く場合をコンプレックスとする
劣等コンプレックス→自分よりかわいがられている兄弟がいたら、妬み的に何かしらの方法で勝とうとする。
優越性コンプレックス→私だけ!!優れていればよい。人より特別に見せたい
劣等コンプレックスの補償行為として優越性コンプレックスがあり、人にはない私だけのダメなところマイナスなところという悪い行動に突き進むような感じ。

ライフスタイルの矯正は助言によるが利害関係のない人からの方がいい
劣等感は取り除けない。だけど取り除く必要はない、目標を変えてあげることが大事

自分を過小評価することで劣等感を減らそうとしている

甘やかされると不平や不満を言って相手を支配しようとする
断念したがる子は家族の中心になっている場合が多く、皆が世話をして励ます。支えられ続けることがその子の優越性の目標になってしまってる。
他人を支配したい欲求は劣等コンプレックスの結果による。これは自分の力を疑っているため




2018年3月14日水曜日

一呼吸置きたい

頭では理解しつつも、行動でなかなかできないです。
ダイエットもそうですが、育児でも頭では○○した方がいいんだとおもいつつも行動では感情が先に出てしまう。

先日、長男が妹の軍手を勝手に切って改造していた。
それを見た僕は、頭ごなしに叱ってしまった。
本当は先にするべきは、改造するという悪意のない行為
改造することで何を作りたかったか、
何をしようとしたか
そこを最初に理解すべきであり、そこを理解してから行為の過ちを指摘するところだった。
当然、頭ごなしに叱れば、理解してくれない大人の言葉は聞く耳持たず、悪いことをしてしまったと自分ではわかっていても素直に認めることが出来なくなる。
そして下がった自己肯定感を取り戻すために否定された行動を肯定するための行動を見せるようになる。

これが反省のない行動に見えたり、理解しがたい同じ過ちの繰り返しに繋がる。
行動を正そうとするよりは、理解することが先決と思っていてもなかなか行動に移せない自分が歯がゆく、愛おしくかわいらしい。

そうです、自分が大好きです。









2018年3月13日火曜日

室内で果樹を育てる

実は果物が嫌いです。
食べれないわけじゃないけど、食べようと思わない
食後のデザートとして果物食べる僕以外の家族の気持ちが全く理解できないです。

そんな僕は家の庭で果物を育てるのが夢
なんか家の庭で食べれるものが実ってるって幸せですよね。
そんなことを夢見てます。

ただ苗木を庭に植えて育てるのもいいのですが、せっかくなら種からやりたい。

今回は子供たちが食べたキンカンとデカいミカンみたいな2種類を種から挑戦します。


温度と水に注意し温室的な環境を作ろうと
縦型で底が深い蓋つきのものを選びました。

そして暖かい場所にじっくりと置き、水をしっかりと上げた結果


芽が出たぁぁぁぁっぁ
めっちゃ喜んだ。

種植えたところじゃないところから芽が出た

なんでだろう

そして、何の芽だろう・・・






2018年3月12日月曜日

何度も繰り返し注意されること

我が家には三人子供がいる
一人を叱ると他の二人は叱られたことをしない。
叱られた人を見て学んでいるようだ。

叱られた子は学ぶわけではない、時としてまた同じことを繰り返す。
まるで失敗したことを覆したいかのように。

部屋を散らかし叱られる

否定される

否定されたから自己肯定感を守る行動として
否定された自分が間違ってないとするため叱られたことを再び繰り返す。

こんなことが繰り返されているように思う




狙ってやっているわけではないと思うが無意識でやっているように思えて仕方がない。
では注意しない方がいいのか?になるがそうじゃない

要は伝え方。

人格否定的な叱り方をすると、こういった行動になってる気がする。
部屋が片付いてない

何でそんなこと出来ないの!!
(簡単なことができない君はダメな人だ)
汚いのに平気なの!!
(平気と思っている君は狂っている)

子どもが注意されたことを再び繰り返すなら自己肯定感の流れを思い返してもいいかもしれない。そして、出来ていないことを怒るのではなく、出来た方がもっといいんだよ!という認識になるように伝えたほうがいいと思った今日この頃



2018年3月9日金曜日

ゼロから作り出す想像の力

想像力ってよく言われますが、そもそもこの想像力をどうやって養うか、育てるかが問題と感じます。

親が〇〇言えばとか、子供に〇〇を与えてとか、色々と魔法の書みたいなことが書かれている本も多いですが、僕自身、子供たち三人の成長を見て思うことがあります。


就学前に想像力を育て上げるかが重要。
この想像力は子供の内側から湧き上がることにより発揮され外側から与えたからと言って想像力が発揮されるのではなく、そこに無いから生み出そうとする気持ちがあって、初めて想像力は鍛えられてくるものと感じました。

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そこに無いから自分の頭で思い描き、それを創造する。

想像とは思い描くもの。そこに無いものを思い描いたり、そこに無い音を聞いたりする無から有を生み出すような行為です。

日常的にこの想像は使わなければ育てることは難しく、さらに想像と現実の区別は体験を通して感じていかなければいけないところ。

ではこの日常的想像を育てるためには?となりますが、
一番最適なのが絵本。
断言したいです。絵本大事!!
なぜならい1ページから1ページへと移り変わる場面など、一枚の絵からいろいろなストーリーを読み聞かされますが、その中で聞き手は常に想像をしていかないといけないからです。
テレビなどは想像力を使わなくても十分に作り手のイメージを映像や音響として提供することができます。受け取っていればいいだけってことです。
それでは想像力を養うのは至難の業。

想像力を養っていくことで大人の目線の枠を超えた子供たちの様々な発想が、日々接することで身をもって体験することができました。








2018年3月8日木曜日

特効薬を求めて

春が近いのを感じ、非常にうれしい日々を過ごしております。
雪が解けたらやりたいことが多々あってワクワクが止まりません。

子供たちも雪が解けると少年野球本番となり忙しい毎日となりそうです。

そんな子供たちと日々接し様々なことが起こり、そのたびに○○してほしいのに
○○にしてくれないかなぁ~とか
なんで○○したんだよぉ~なんて感情が多々沸き上がります。

そのたびに育児書を読み返したり懇談内容のノートを見返したりとしておりますが、
その時に起きたことを何かの一言で一変しようと思っていたのがそもそもの間違いでした。




○○と言えば必ず子供はこうする とか
△△すれば子供はこういう行動をするとか
色々なことが書かれていますが、実際に子供の行動が変わってくるには時間も必要です。
当然ながら親としての対応も必要です。
何もしないで何か変わると思っているのは勘違いですから、何かしらの対応をしなければいけないのは当然なんですが、それらすべてに特効性はないということ。

だから、昼寝をしない子に頭を抱えて何故寝ないんだと試行錯誤しますが、効果が出るのはもう少し先。
何もしなければ何も変わりませんし、やり続けなければ変われないですが、即効性を求めてもダメですね。
そんなことを感じる春近い今日この頃です。


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2018年3月7日水曜日

甘えっこ

次男は末っ子ということもあり甘えっこです。
これではいけないと思いつつも甘やかしてしまいます。
そして、これを続けていくと法則のようにある行動が出て来るように思えます。

自分の課題と言えるべきものに対して、対応しようとしない行動。

例えば恐怖
この恐怖というのも実際は子供でも理解できる範囲のものであり、それが理解できればその恐怖に対しての対応も変わってくるのですが、理解するためには向き合わなければならず、向き合わずにいると基本的に逃げます。
とことん逃げます。

この逃げという行動が、その場から居なくなったり、泣いて状況を変えてもらおうとしたり、動かなくなり何もしなくなる。
これらの行動は性格というものではなく、ある事実に対しての認識のよる行動であり、その認識というのが状況を変えてもらう。という他人にやってもらうという気持ちからの行動に思えます。

次男は2歳くらいの時に園でのリズムに参加しなかったりしたときに注意された内容を思い出しました。その時には意識して親としての行動を変えることでハッキリと次男の行動に変化が見られたのを今でも覚えています。

今回も奮戦の割れることに対する怖がり、鬼に対する極度の怖がりはそういったことへの親としての対応が原因なんだろうと感じ、今後の接し方を改めてみようと思った今日この頃です。




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