これではいけないと思いつつも甘やかしてしまいます。
そして、これを続けていくと法則のようにある行動が出て来るように思えます。
自分の課題と言えるべきものに対して、対応しようとしない行動。
例えば恐怖
この恐怖というのも実際は子供でも理解できる範囲のものであり、それが理解できればその恐怖に対しての対応も変わってくるのですが、理解するためには向き合わなければならず、向き合わずにいると基本的に逃げます。
とことん逃げます。
この逃げという行動が、その場から居なくなったり、泣いて状況を変えてもらおうとしたり、動かなくなり何もしなくなる。
これらの行動は性格というものではなく、ある事実に対しての認識のよる行動であり、その認識というのが状況を変えてもらう。という他人にやってもらうという気持ちからの行動に思えます。
次男は2歳くらいの時に園でのリズムに参加しなかったりしたときに注意された内容を思い出しました。その時には意識して親としての行動を変えることでハッキリと次男の行動に変化が見られたのを今でも覚えています。
今回も奮戦の割れることに対する怖がり、鬼に対する極度の怖がりはそういったことへの親としての対応が原因なんだろうと感じ、今後の接し方を改めてみようと思った今日この頃です。
0 件のコメント:
コメントを投稿