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2018年2月23日金曜日

泣きわめき

子どもが泣いたときに泣きわめく場合がある

とりあえず大声で泣き
泣いて、泣いて、泣いて
何言ってるかわからないくらいになって・・

こんな場合によく泣き終わってから言って!
泣いてたらわからないよ
なんていう対応があるが、なぜ泣き終わる必要があるのか
泣きながらでも訴えているのだから、話は聞くべきだ。という意見もある。

ではなぜ、泣き終わってからなのか
感情を使わずに問題を解決する手段を見つける
これ一択だな。

感情による問題の解決を覚えてしまうと基本的に取り合えず泣く。
泣いてからどうするか考えるみたいな形になりやすい。




これは成長とともに落ち着くようにも思えるが、我が家の子供たちを見ているとそんなこともなかった。
小学生チームにも就学前にそういった対応をしていたのだが、この意識が僕の方では弱かったようだ。泣きわめきの基本は成長してからだが大きくなっても受け継いでいく。
ここは注意が必要だ、つまり感情を爆発させて問題を解決しようとすることがある。基本は話で解決しようとするのだが、感情一度爆発すると手が付けられなくなる。

それを踏まえて感情を使わずに問題を解決する手段を見つけることを体感してもらうのはとても大事と感じた。
つまり泣き終わるまで無視とかではなく、泣いたら抱っこで癒すとかでもない。
感情による問題解決ではないやり方を知ってもらうというのが一番の狙いのようだ。
もっと早く気が付いていればよかったなぁ

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2018年2月22日木曜日

寝小便などの大小便コントロール

次男、4歳であるが寝小便がまだ止まらずって感じ
ダメとは思ったりしないが、どんな心境からなのかと考えたりします。
もちろん身体のことなので、同行しようと思わないのですが、次男の気持ちの変化の時に寝小便が一時的に止まったことがあり、もしかして何かしらの気持ちの影響ってあるのかなと考えました。


色々と調べたりしていると手をかけてもらえる状態から抜け出したくない、
目がそれてきたときに注目を今一度集め戻すために寝小便をするってのがありました。

思い当たります。どストライクてきに次男に対しては思い当たる。
甘えっこの末っ子なので、兄姉に注目が集まってきたり何かしら注目を得てないと思ったときにやってる気がします。
今後これを踏まえて接し方を変えてみます。
どうなるかなぁ~



2018年2月21日水曜日

苦手に対して

得意を伸ばすというのは僕は賛成です。

では苦手にはどうするか。
何が苦手か得意かは早くから決めるべきではないと感じてます。
スポーツなどのサッカーや水泳、柔道など様々なものがあり、そこには足の速さのメリットや力持ちのメリット、スタミナが有利な場合などありますが、日常的なことに対して、人生経験がまだ短い子供たちが自分の得意分野不得意分野を振り分けてしまうのは、自分の器を決定してしまう事に繋がるんじゃないかなぁ~と

自分の器を決定してしまえば、その器を超えると判断したものは挑戦することをやめてしまいます。常に自信満々に生きる子供たちから挑戦する意思を取ってしまうのはちょっと切ないなぁと

今回娘の掃除が苦手という意識からの判断でしないのであれば、僕がやるべき行動はまずは自信をつけることが大事なのかなと娘の様子を見て思いました。

やっていた片づけをやらなくなってくる様子は、ただの面倒と片付ければそれですみますが、掘り下げて考えてみると、娘に対する僕の注意や指摘が多かったなぁと感じています。今回の僕の反省を踏まえて接し方を改めようと思います。そして娘の心境が変わり再び片づけの習慣などが出てくる日が楽しみだなぁ~と。





2018年2月20日火曜日

掃除、片づけをしない

日々暴れまわっている子供たち、
歩いたところには脱ぎ散らかしや遊び途中のものが散乱したりと足の踏み場がないときがあります。
兄妹の中でも片づけをやる長女であったり片づけをしない長男だったりと人それぞれです。
これは個性なのかと思ってもいたときもありましたが、長女がだんだん片づけをやらなくなってきた様子をみて、親である僕の対応による気持ちの変化なのだろうか⁉と考えてみました。




子供たちをじっくりと観察してみると
片づけや掃除を自分からやる場合と指示されてやる場合などがあります。
理想は自らやってくれることですが、現状そうはいかず片づけを促すことの方が多いです。
促されることを指示と捉えて反抗的な気持ちになる場合や気持ちがそこに向かないことから片づけない場合など片づけない場合の心境も色々とあるようです。

反抗的な気持ちになるときは、親である僕の日常の接し方が常に上からの指示なのかなと反省をします。
片づけようとする意識が向かない時は、掃除という苦手に対して挑戦できないという気持ちが強いようにも感じました。

ここで苦手なら無理に挑戦せずに得意で挑戦するべきなんじゃないか?
こんな感じを思われてしまうのですが、これに対しての意見を次回は述べます。



2018年2月17日土曜日

子どもの世界

子供たちを見ていると子供の世界ってホントにあるんだなと感じます。
まるでピーターパンのネバーランドみたいですね、
無秩序の中の秩序であったり面白いものです。

そんな子供の世界で子供たちは人間関係で様々な経験をしていきます。
それが生きる糧になるのですが、子供の世界で起きたことは子供の世界でしか解決しないんだなということをよく実感します。

子供同士でちょっとした事がありグループが分かれたり仲間外れ的な状況になったりとした場合に、ここに大人が失敗した子供に対して介入をしても解決にはならない。ってことを感じました。

失敗した子供(例えば対応を間違えちょっと仲間から浮いた状態になったり)に対して気をそらすことを声がけしたり相手をしても、それは一時しのぎであり根本の解決には繋がってない。
それはただの目をそらす行為




子どもの世界で失敗した場合は、どうあがいても失敗した世界で成功を掴むしかありません。
親としては大人としては見てるだけってのが切ないですね。
でも、大人としてもやることはあるんです。

それは自信の補充
つまり傷ついた体を回復し再び子供の世界へと旅立てるようにする必要がある。
何度傷ついても大丈夫だと思わせてあげることですね。

自信の補充とは???
自信が減ったのであれば、減った自信を回復させてあげること。
例えば音楽でみんなの前で歌ったが下手で自信を無くした子がの場合。

君の唄はうまいよ、ちゃんと音取れてるよ、自信持ちなよ
これは正直間違いと思っていいと思う。
外に出て家以外の人が音痴と言ってきて、それを家の人がどんな言い方をして音痴じゃないといっても無駄。家で音痴じゃないと言われても外に出れば音痴と言われる。
水掛け論になるだけです。

音痴って言われたんだね、悲しかったかい?それは悲しいよね(共感)
基本共感することが第一と思います。共感することで気持ちを共有し一人ではないと思えることが大事。
ここからの続きとしては、音痴は音痴として受け入れ、別の形で自信を補充する。
例えば家の片づけが素晴らしいとか、いつもご飯をおいしく食べてくれるのが嬉しいよと伝えるとか

起きた事実を捻じ曲げようとする解決は解決ではなく誤魔化し、いっそ起きた事実は受け入れつつ、そんな失敗があったって君はとっても魅力的な人間なんだよってことを伝えていくのが大事と感じる今日この頃です。




2018年2月16日金曜日

信頼するとは

信頼と信用は違うようだ
信用は担保を得て信じる
信頼とは担保なく、信じる。

この担保なくが非常に難しく、失敗を前提として受け入れなければいけない。
僕はついつい失敗する前に口を出してしまう。
その口出しがアドバイスとして行っているが、このアドバイスが曲者だ。
100点満点の人にアドバイスなどもちろん必要ない。
子供たちは常に根拠なき自信に満ちた存在となると、自己評価としては100点満点。
この100点と思っている子供たちに対して助言というアドバイスやコツを教えたつもりの一言や何気ない指摘は『君は100点じゃないよ、だからアドバイスしてあげる!』というメッセージになる。

これは佐々木正美先生や明橋大二先生の著書を読んでも同じようなことが書いてあった。

日常のちょっとした一言が子供たちにメッセージとして与えている影響は少なからずあるように思えてる。
早くして、
ちゃんと用意した?
こういったことも実際にはそういったメッセージになる。
だけど、そうなるともう親子の会話が不可能になってしまう。

それは困るよね。





ではどうするべきか

アドバイスしたり指摘してしまったりすることを気を付けつつも
もっと重要視した方がいいことがある。

それは褒めたり、認めるなどの自己肯定感を上げるような声掛けを意識することだ。
つまりマイナス点を与えた以上にプラスの声掛けを意識することで一日が終わり寝るころにはプラスになってるというくらいの声掛けが重要と思う

子どもに対して『君ならきっとできるよ』というメッセージを与えていきたいな

2018年2月15日木曜日

親に固執 べったりして離れない

子供がべったりという展開がたまにあります。
なかなか離れない。
以上に固執したようにべったりと

何でそんなにべったり???

子供たちは日常的に自信たっぷりに活動をしています。
その自信には基本的に根拠がなく、
やったことないことでも、俺にはできると自負しているくらい
(車の運転とか俺はうまいぞ!みたいな免許ないのに自信たっぷり)

日常的に自信たっぷりの子供たちが親にべったりとしてくるとき
精神的な安定を求めていると聞きます。

だからこそ抱っこしてギュっとしてケアしてます。
そんな言葉を聞きますが、それは解決ではない。一時しのぎ
根本の問題が一切解決になってないですね。

解決とは。
この不安からべったりしてくる、固執して離れないのであればその原因などに目を向けるべきだなと。

では、最初の話に戻り子供たちが自信たっぷりに日常を生活しているところに注目です。
この自信たっぷりなのにベッタリしてる、親から離れない。という違和感。
つまりこの違和感が正体であり原因であると判断したいです。

結論
自信たっぷりではないからベッタリ、親から離れられない

親の信頼を得たいからということになります

信頼はいつもしてるよ(怒り(# ゚Д゚))っといわれるところですが、信頼として受け取るのは子供自身なので親としてどう思っていても受け取り手が信頼されてないと感じれば信頼してないのと同じなのです。
では何が信頼していないってことなのか
どういった言動が問題なのか

長くなったのでまた明日






2018年2月14日水曜日

子供の喧嘩 どこで仲裁に?

小樽の寒さが一段と厳しい日々が続いております。
外はキンキンの寒さ!
そんな寒さを吹き飛ばすくらい子供たちはいつも賑やか。
賑やかを通り過ぎて喧嘩になるくらいです。


毎度、毎回、いつものようにケンカケンカケンカ

子供の喧嘩なので基本は子供同士に任せています。
その際に大人が介入するようなときは大怪我てきなことになりそうなとき。

ただ小学生になってくると話し合いの基礎的な部分も理解してもらいたいので、話の進め方として話すポイントがズレたら戻すみたいなことをしてます。
この時にあくまでもどっちが悪いとかではなく、話すべきところを定める感じ。

よくケンカしてると前にもコレやったとか
さっきはこれしてるとかドンドン話すべき内容とずれていきます。
そこをちょっとだけ指摘する感じにしてます。ただ基本の子供だけで話してもらうのは変わらずです。




喧嘩はあくまでも感情と感情のぶつかり合いなので、大人が論理的な正解を出しても決して納得できるものではなく、私恨を残すだけになってしまいます。
だからその感情がお互いに出し合い冷静になった時が本当の話し合いの時。
その感情を出し切らずに介入して結論を先急ぐと、必ずと言っていいほどどちらか一方が泣きじゃくったりかんしゃくを起こしたりします。
この感情の高ぶりは腹にたまったものが出きっていない証拠なのかなと思ったりします。






2018年2月7日水曜日

自然育児とテクノロジー

ドンドン化学が進化し、驚くようなものが出てきている時代であり、便利にもなってきている時代ですね。
そんな中で育児とテクノロジーも今後はもっと真剣に考えていく必要があるんだと感じています。

ちょっと前までは電磁波ひとつ取っても悪いなどはありましたが時代とともに変わっていくことも時代の進化であり、育児とテクノロジーもきっと全てが悪いと言える時代ではなくなってくるんだろうなと感じます。

親はいつも使ってるけど子供は使ってはいけないスマホ
なぜ使ってはいけないのか
いつ使えるのか
こういったことをどう伝えていくのか
とても大事なことと感じています

これから放課後の児童クラブなどもゲームが当たり前に常備されるんだろうと感じたりもするし、インターネットも自由に使えるような設備になってくるんだろうと思います。
何故ならネットを通した勉強なども当たり前になり、放課後の宿題やわからないことへを調べるための手段として当然となってくるんだろうなと


そんなことを考えた今日この頃です

2018年2月3日土曜日

次男の獅子舞

毎年この時期にインフルエンザって流行りますね。
何なんでしょうね。


次男が保育園で見た獅子舞を
家で踊りだした。

その日は保育園で獅子舞の踊りを見たようで
園での様子を動画で見たら
保育士の後ろでビビってたようにも見えたのですが、
それなりに影響はあったようです。




日常の生活から外れたちょっとしたイベントでもしっかりと影響を受けて、それを自分の活動エネルギーへと変えてくれるのはうれしく思います。

見たもの、体験したこと、感じたことがその時だけで終わってしまうのはちょっと勿体ない。

感動が新しい意欲へと導いてくれますが、感動の前に発見があり、発見の前に理解があります。
見たもの、感じたものを理解し、そこから新しい発見や気づきがあり、それにより感動を伴い意欲へとつながる

こういったことが今後も続いてほしいなと感じる今日この頃。



ranbyoshi
乱拍子
short : https://goo.gl/MCQt8b



2018年2月2日金曜日

アイデアが浮かばない

子供たちの遊び場づくりを考えておりますが、どうしても行き詰るところがあります。
それは維持費

立派な建物ではなく廃材などで作る感じを想定しているのですが、それでも電気代や水道代などの最低限のお金がかかります。

そこの維持費をどうするか

収益を発生させるもので最低限の維持費を賄いたいんです。
その収益を発生させる仕組みが思いつかない
行き詰ってます。






2018年2月1日木曜日

どうしても作りたいものがある

様々な木工や工作を終えて作りたい病になり色々と作るものを妄想している時がとても楽しいひと時です。
そんな僕は昔から作りたいものがありました。

公園

???って思われるかもしれませんが、僕は子供たちに遊び場を提供できる場所を作るのが夢です。

児童福祉施設??と思われるかもしれませんが、そういうのではなく公園みたいな遊び場です。ただ雨が降ったりしても遊べたり、本が置いてあったりイベントを行ったり大人があまり介入しない遊び場を作るのが夢なんです。
学童保育がしたいとかはありません
放課後児童クラブを作りたいわけでもないんです。

遊び場を作りたい




本当にこれだけです。
でもこれがとても重要に思えます。
遊び場だから泥遊びや木登りなんてものは当たり前ですが、他と違うのは電子機器のゲームだってOKにするつもり、なぜなら遊びに大人のケチをつけさせたくない。
今の時代の子供たちが選択した遊びなら禁止ではなく自由にしたいです。
ただたくさんの面白い遊びを提供できたらいいなと考えています。
自分たちで遊具を作ったりご飯作ったり映画鑑賞をしたり、そういったことなどもできるようにしたい考えています。

これが様々なモノづくりを通してさらに鮮明に思うようになりました。

いつの日かこれを実現できるようにがんばります。




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