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2018年10月26日金曜日

乱暴な子と乱暴される子

乱暴

と例えると大げさと取る人もいるかもしれない。
ただやられている人から見ると例えが小さいというかもしれない。

この乱暴の大きさに注目しても平行線な気がする。



例えば園児などが手が出たりする力技に出たとき、注意したりやられた子にやり返せ!と促したり。それは各家庭の色があると思う。

ただ我々大人としては子供たちが自立して社会に出るべく準備をしなければいけない。
社会に出てから○○しなさい。〇〇はダメよとは言ってられない。

子供達には自分で判断できるようになってほしい。
だから叱ってダメなことを常に伝えていく。でもない気がする。

出てきた選択肢の中で子供たちが自分で選択し自分で判断できるようになってほしい。
それがお父さんが言ったから〇を選択した。ではなく自分の考えとして〇を選ぶようになってほしい。そこには誰々が言ったという理由ではなく明確な自分の判断材料があるはずだ。



乱暴した子、された子にはどう接するのか。

広木先生の本でも紹介されているが、「乱暴した子に叱ってダメだと伝えるよりも、自分の内面をそういったことでしか表現できない。今後の課題として一緒に取り組む」ということが書いてあった。

乱暴はもちろんダメ。
その場で叱ったり怒ったりしても結局は見てないところで繰り返すだけである。これが学生間のイジメにも相当すると思う。
日常的な友達同士の関りを通して、どう接するのかを伝えていくのが本来の導き方なのだろうと感じる。





やられた子

やられた子が弱いから悪い訳ではない!!

圧倒的に力の差があることも当然ある。年齢差による力の差も当然ある。
ただ注意したいことがある。

喧嘩は勝敗ではない。

勝ち負けではないからこそ表現することの重要さがある。表現しなければいけないこともある。
そして、知ってほしい。気づいてほしい。

言いたいことは、言っていい。
表現したいことは、表現していい。
泣いてもいい、怒ってもいい

ただ周りの大人に助けを呼ぶ前に自分の一歩だけは
踏み出してほしい

一歩だけでも踏み出すことができれば、これから先は2歩3歩と進むことができる。
それを知ってほしい。

だから、親として僕が注意しないといけないのは、泣いてるからダメではない。
やられてるから弱いでもない。
表現できる権利があることを知らせなければいけないってことだけなんだと感じる。



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