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2015年8月21日金曜日

今の日本人に足りないもの。ゴーマニズム宣言戦争論を読んだ


色々と話題となっている安保の件もあり、自分なりに少し勉強しようと色々と知識を集めています
その中で面白い本に出会ったのでご紹介
ゴーマニズム宣言
戦争論
新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論
小林 よしのり
幻冬舎
売り上げランキング: 1,359


結論から言いますと、猛烈におすすめ本
今まで自分が片方からの情報しか入手していなかったということがよくわかりました。
こういった情報も一つ自分の中に入れる重要さを猛烈に痛感。
ぜひ読んでもらいたい
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僕なりに感じたこと
戦争をするに当たり八紘一宇(天皇のもと民族は全て平等)を掲げての戦争であり、日本人としてアジア人として人種差別に対しての戦いでもあった。
負けたことであらゆる罪を咎められたが、資料として改めて見ると矛盾が多く信用性はもの凄く低い。
日本は悪い国だ。虐殺などをする悪人だというイメージを植え付けられた感がもの凄くあり、それは戦後の敗戦国ということから米国などの政策によるところがありそうだ。

そのため我々は日本が悪という印象から、愛国心を無くし公共性というものが低くなっている
これに反して個人的な自由だけを尊重し、日本の国内は一人一人がバラバラに感じる。

個人を尊重するあまり公共性が低い。

自分勝手な行動が多々目立ち、それは子供の教育というところでも目立つ。叱ることができない親、他人の子どもにも叱ることができない大人、見て見ぬふり、自分に危害が加わることを恐れたり、他人に迷惑をかけていないならと礼節的なことも伝えることを忘れてしまった日本。

本来、個人の自由というのは公共性の中にあるものであり、 その中の自由には束縛と制限があっての自由である

日本人であるという自覚があり、そこから自由を主張することになるのだが、日本人という自覚がもの凄く低い、別に俺は俺、私は私という感覚が育っている。
これは大人も子供も一緒である。

論理ある個性は我慢の中にしか生まれない。
やりたくない、したくない、興味ないから関係ないでは論理ある個性は育たない。だから自由勝手な個が育つ。それゆえに身勝手な行動が様々な事件を引き起こす。

我々の先祖は戦争に参加したが、それは民族の平等を守るための戦争でもあり、誇りとして思うところも必要なのではないのだろうか。

戦争の反対は平和ではない
それは平和とは秩序であり秩序の反対は混乱になる。
つまり戦争の反対は話し合いになる。





衝撃的な内容の本と思われるかもしれない。
それでも一つの資料として読む価値は十分にある。

僕は父親として戦争のことも子供たちに話す必要性も十分に感じたし、子供たちには自分たちが日本という国の人間であり、その中の一個人ということを認識させないと行けないと感じた。



国歌斉唱など僕は面倒に思っていたくらいだ。でも海外のイベントなど他の様々なところでも各国々の人は国歌を歌う場面を見る。日本で国歌を歌う機会は少ないように感じた。
そしてあえて歌う必要もないと思っていた。


でもこれ違うね。
僕は日本児である以上、国内で暮らしている以上は日本人としての誇りをしっかりと持たなければいけないんだ。僕たちの先祖が戦争に参加した。戦争を○か×かという論争はしない。
ただ参加しているときの気持ちや特攻隊として何を守ろうと考え、何に命を懸けたのか
自分の生きがいを何に見つけていたのか
そういったことを十分に考え子供たちに伝える義務はあるのではないかと感じた。




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