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2017年3月31日金曜日

この子だけ仲良しという共同体感覚の固執問題

長女は0歳児から一緒のお友達がいる。
とても大好きなM子は、遠いところに引っ越ししてしまった。

小学生になり、遊ぶ友達ができ喜んでもいたがそこからの発展がなかった。
その子と遊ぶ以外は放課後家にいることが多い。
園時代の子と連絡を取ったりすることもだんだんと少なくなり、遊びの回数がぐっと減った。

こちらがさりげなく園時代の子との遊びを促したりもするが、遊びたいのは遠くにいるM子と言って他の子とまではなかなか行かないようだ。

M子に固執している。


親友という概念は悪いことではない、でもそれはもっともっと人生経験を積み重ねて積み重ねた経験をもとに気の合う友達を集団の中で見つけていくような形だといいなと思ったりもする、まだ友達という概念が弱く出会った子はみんな友達だ的な年齢のうちは色々と遊びを通して感じてほしいと思う

特定の子への固執は問題なのか⁉
ダメというといいすぎなところだが、友達は仲間としての認識のところ。
その仲間との係りを通して自分の居場所を認識していくのだから、遊べるのはこの子だけという認識が早い段階で固定されてしまうと自分の居場所という感覚が非常に狭いものになってしまう。
世界は広くこれから様々なことを経験し失敗をたくさんするうえで、自分の居場所を狭い範囲で固定してしまうと居場所を亡くした時に行く場所がない。
それでは意味がない。

親友が一人が悪いわけではない、
仲間意識が狭い範囲というところが問題であり、日常的に保育園や学校でかかわっているのに仲間意識が出ていないところが問題と感じる。
仲間の中に親友がいるのはとても良い。ただ親友という段階を得るにはそれなりの階段を上る必要もあるというのも忘れてはいけないと思う。




この仲間意識を芽生えさせることは、共同体意識というところになり、
集団の中の自分の居場所を感じるということだが、自分の居場所を感じるうえで必要なことは何かが一番重要になる。

これは自分の役割をその集団の中で感じることができることのようだ。
自分のポジション、自分が相手に貢献できると思えることが、自分を蚊帳の外と思わせず仲間意識を芽生えさせるところになるらしい。

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