様々な育児書や育児論争があり収集が使いないですね。
そんな中、僕自身も感じていたことがあります。
・子供の環境を考え食育、環境、育児書で勉強したりし子供に良い環境を与えようとするため、お付き合うする友達関係にも干渉してしまう親
・ごはん前だろうがお菓子を食べたり、添加物や冷凍食品などを関係なしに子供に与えたりテレビを遅くまで見て就寝時間や起きる時間がバラバラになってしまったりするが近所のどんな子供でも受け入れて遊んでくれる親。
何が正義か、
僕には判断つかない。
ただどちらも子供のを思っての行動であることは確かであり、ただ手段が違っているだけのこと。
前者は頭を使い、
後者は心を使う感じがします。
自分の子供に対して悪影響を考えると遠慮したいお友達でも、子供が楽しく遊ぶことができるのであれば親が干渉するところではないかなと考えたり。
ただ犯罪的な行為になる前にという気持ちから対応しようと思うと先手先手で常に動いてしまうのかもしれません。
失敗を受け入れるというのはこういったところから始まっているのかなと思ったりもします。
そして大事なのが失敗をしても子供はちゃんと道を正すことができると信じることが、信頼なのかもしれない。多くの大人が事前に対応しようとするのは、子供に対して悪事を断れずに失敗をしてしまう、一度道を外したら戻ることができないという子供に対する過小評価なのかもしれませんね。
子供にしっかりとした信念が育ってほしいと考えるのなら、親として黙って信頼し待つしかないのかもしれない。
木の上に立って見る。=親
字がそう物語っているような気もします。
0 件のコメント:
コメントを投稿