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2017年9月21日木曜日

集団生活での個性


集団と個性について考えたい
集団とは個性の集まりであること、でも右向け右とは言いたくない。

みんなが右に向くから右に向かないと人間否定されるのであれば、
それは間違いだ。

個性とは虫が好きだったり雪が好きだったり、積み木が好きだったり各家庭環境によってさまざまな個性があると思う。

そこから保育園などの集団生活を想定して考えたい。
寝るときに寝たくない、
起きるときに起きたくない。
食べるときに食べたくないなど
片づけるものを片づけたくない
これらを個性という形で認識はしたくない。

絵を描くにしても同じものを見ているのに描いたものは一人一人が違うものになる。
これが個性と認識したい




敢えて自分だけ違うことをやりたいとなった時に、注目されたいのか、人と違うことをやることで特別視されたいのか特別と思いたいのかなどの思惑を考えたい。


外で公園に着き、鬼ごっこしようとなったときに、砂を弄り始め鬼ごっこには加わらない様子。
一見、鬼ごっこが興味がないという形で終わってしまうが、
もっと深く見つめてほしい

鬼ごっこに興味がないではなく、鬼ごっこに入れない、どう関わっていいかわからないから砂に目を移し目の前のことを見ないようにしている。

もっと言い方を変えれば、
鬼ごっこをどう楽しめばいいかわからないってことだ。


好きじゃないからいいんだよ!ってことで片づけてほしくない。


楽しみ方がわからないなら、どんなことでも心から楽しめるようにしてあげるのが親としての務めと思いたい。


楽しめることが一つよりも三つ、四つ、いや十でも百でもあっていいと思う。楽しめることが限定されているというのは、その子の世界観を限定させてしまっているということだ。

無理だからやる必要ない
ではなく!
子供たちには、やればできるようになるということを知ってほしい。




興味ないならやらなくていい
ではなく!
興味を持てるように育ててあげたい
興味が持てるものが増えればそれだけ生きている楽しみも増える
生きる楽しみがたくさんあるって幸せだと思う。
そして、興味関心は持って生まれてくるものではない。
あくまでも生活環境からでてくるもの、そうであれば、生活環境によって好きにも嫌いにもなってくると考えたい



食べ物を拘ったり、着るものを拘ったり、育てる環境を拘ったりと様々なこだわりがある。でもこれらは全て精神的な育児を助長するために存在すると思う。


だから順番としては心を育てることが前提であり、そのために食べ物や衣服、寝床、自然などの環境を道具として利用していくべきと考えている。



佐々木正美先生より抜粋

・遊びと社会性
最近、集団生活に適応できない子どもたちの間題が指摘されていますが、遊びというのは社会人になるための練習の場なんですね。

佐々木:子どもは順調に成熟すれば、幼年期の終わり頃にはルールを守り、役割を担い合って一定の目的を達することに満足感を感じるようになります。いつか社会の中でやることを、まず遊びの中でやってみるわけです。だから社会性というものは、十分な遊びの体験があれば、自然と身についてくるはずなんですよ。




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