我が家の次男は海遊びがちょっと微妙。
砂浜で遊ぶ方が楽しみます。
リレーも好き。
小学校の兄と姉の運動会を見に行った時に兄姉が走っているのを見て、興奮してグランド内を走り回っていました。
海で遊んだり走って遊んだり、砂で遊んだりと様々な遊びがあります。
リズムするのも遊びのうちなのかな
就学前は様々なことが遊びとなり、遊びを通しての学びとなっています。
この遊びということで様々な見方に偏りが出てしまうと感じることもあります。
つまり、好きな遊びと夢中になれない遊びがある。
この時に必ずぶつかることが、夢中になれないものを無理くり夢中にさせる必要があるのかということ。
積み木が好きな子もいれば、滑り台が好きな子もいる。
公園で遊ぶのに必ずブランコじゃないとダメということはないはず。
でも、懇談でよく耳にすることがある。
遊べてなかった・・・
『遊べてない』
この単語が様々な誤解を生んでいるように思えます。
遊び=あそびであり、好みがあるのは当然であるということ
ではなぜ遊べてないということが言われるのか!?
これは単純に『遊び≠あそび』ということであり
園から言われるのは『遊び=面白味を見つける』ということ
つまり遊べてないということは、
面白味を見いだせていないということ
海で遊べてない
・海での楽しみ方を見つけれてない。
・海でどう遊べていいかわかってない。
・水に対する恐怖から楽しめてない
これの何が悪いのか!!!
と考えずに、わが子が人生を謳歌するにあたり、楽しみは1つよりも2つ、
2つよりも10、10よりも100という具合になんにでも楽しめるようにしてあげたいところ。
遊べていないという言葉が親という人格に対して、負のイメージしか与えていないということが問題。
ただ親として聞く僕らとしては、遊べてない!をそのまま受け取るのではなく、もう一歩その意味を深めて受け取る必要があるのかもしれない。
遊べてないは、面白味を見つけれてない
海で遊べていないなら、海に対しての魅力をたっぷりと伝えてあげたいし、海の楽しさをたくさん知ってほしい。そのために恐怖が邪魔をしているのか、肌感覚が邪魔なのか、何が邪魔しているかわからないが、親として大人としてできる対応を考えたい。
ここからが子供と大人の知恵比べになるんだろうなと感じます。