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2017年2月3日金曜日

再びアドラー心理学をお勉強した

以前ネットで見つけてとても参考になったアドラー心理学のサイトがあります

トップページ | アドラー.comアドラー.com





ここのサイトを久々にのぞいてみるとバージョンアップしていました。
そこで再びサイトを読みながらアドラー心理学を振り返りました。

人々の目標は
自立-社会と調和して暮らす-行動
私には能力がある-人々は仲間-心理
この行動と心理二つの目標があり自立し社会と調和して暮らすことや人々は仲間であり私には貢献することができる能力があるといえるように成長していくことが大事とされているようです。

では、何をどうしたらそうなるの???ってことになりますよね。
日常生活をするにあたり様々なことがりますが、それらを事実認知というところでしっかりと分けることが必要。
この事実ではない認知の部分は捉え方になるので、捉え方は自分で決定した見方になります。つまり事実に対して起きた言動は気持ちはすべて自分で選択して決定したことからの結果ということ
ということは遺伝子や環境というのはあくまでも材料でしかなく、作り手によって如何様なものにでもなるということ。
(ここまでだけでも、けっこう大きな衝撃ですよね)

捉えた事柄に対してそれは誰の課題であるか⁉
ここが非常に重要です。
(根本的なスタートラインと言っても過言ではないと思います)
課題に向き合うにあたり○○しなくてはいけないという決まりは基本的にない。
型にハマる必要はないということ。
でもよく現実では一般的なこととか普通とか常識と言われておりますが、これらはただの多数派の意見でしかない




課題には仕事の課題、交友の課題、愛の課題がありこれらはすべて対人関係からの課題です。ここで重要なのは課題に対して承認欲求から解放される必要があるということ、誰かに許可をもらう必要もなく認められなければいけないということもない。
つまり嫌われるのを恐れてはいけないということだ。

課題に対して行動を起こしますが、人の行動などはすべて目的があってのこと
自分たち手でも意識してないいところに目的がありこの目的は自分で設定し自分で決断して行動を起こしています。
つまり行動には、ほぼ人の意志が介入しているということになる。
では、医師が介入していないのは何か?これは機械的なことになるようです。

言動に意思が関わっているということで、心と体、意識無意識などを色々と考えますが、これらはすべて繋がっているというより、分けて考えるものではなくすべては一つのものと考えます。
一時感情として悲しさ不安くやしさ心配等の後に怒りがありますが、これらの感情は道具として使われているだけであり、目的を達成するための道具になっているということです。
感情をコントロールしようとするわけではなく、感情はライフスタイルからの排出物と捉えておくことで、出てきた感情をコントロールするのではなく、ライフスタイルを変えることで出てくる感情も変わってくるということがよく理解できます




様々な課題に立ち向かったりするためには、それだけのパワーが必要になります。
人生という坂道を上るには馬力がなくてはいけません。その力を勇気と言い、勇気を与えることを勇気づけということでアドラー心理学では表現しているように思えます。

勇気づけ
困難を克服する力を与えることであり、それにより建設的行動をしたり現状を改善していくことができるようになります。
勇気づけするには、自分は一人ではない、自分には能力、魅力がある。他者を勇気づけることができるという感覚がとても重要です。

逆に勇気挫きとは
非建設的な行動になり現状を改善しなかったり改善する気が起きなかったり、威圧的な態度や支配的な態度をとるようになる。そして他社と比べることでコンプレックスを抱くようになる。

共同体感覚
仲間という感覚が大事であり、その仲間の中で自分は貢献することができるというポジションを意識することができたり、他者は私を助けてくれるという感覚から私は仲間の一員であるということが重要


文章だけでまとめてしまいましたが、これをスライド的にまとめてみたいと考えております。完成したらここで紹介させていただきます。

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